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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第七十二話『雄のリズム、雌のメロディ』

「左手に、雄、右手に、雌。そう、フラメンコ・カスタネット、
パリージョには、性別があるの」
手下倭里亜は、かつて、よく通る声でそう教えてくれた。
涼川小夜子は、フラメンコ教室に通っている。
神保町の路地裏に、まさかフラメンコ教室があるとは……。
すずらん通りの裏に、スペイン・アンダルシアの風が吹いていた。

倭里亜に初めて会ったときの衝撃を、
小夜子は今も覚えている。
興味本位で、地下にあるスタジオを覗く。
そこに、立ち姿の美しい女性がいた。
彼女は、小夜子に気づかぬように、踊り始めた。
踵を踏み鳴らし、カスタネットを連打する。
流麗で艶っぽい、凛としていて、人間味が溢れる。
「ああ〜」
思わず、吐息が漏れた。
まるで肉体が全て、楽器だった。さまざまな音を奏でる、楽器。
そしてそこに「舞い」が、降臨する。
縦横無尽にひとりの女性の物語が躍動する。
彼女の哀しさ、喜び、怒り、幸福感が、空気を通して
伝わってくる……フラメンコは、凄い……。
小夜子には、月並みな表現しか、湧いてこなかったが、
文字通り、「体に、電流が走った」。

小夜子は一度、スペイン人に抱かれたことがある。
名前は、アロンソ。
語学の専門学校でスペイン語を教えている彼。
小夜子の古書店に、「闘牛士」の本を探しにきた。
教え子に、闘牛の素晴らしさを伝えたいという。
在庫がなく、取り寄せた。
最初から「抱かれるだろうな」と思った。
本を探してくれたお礼にと、アロンソに食事に誘われる。
背は決して高くないが、分厚い胸板。
足が長く、お尻がくいっと上にあがっている。
食事のあと、ホテルのバーで飲む。
薄く、西欧人の体臭が香る。
彼は、私をじっと見た。何も言わない。
彼の瞳に赤いワンピースの私が映る。

テクニックというより、闘牛だった。
私は、慣れない闘牛士役。よだれを垂らしながら向かってくる暴れ牛を
いなすのが大変だった。
牛は執拗に攻めてくる。何度も、何度も。
私は突き上げられ、やがて、果てた。
「アロンソ、闘いに熱心、という意味デス」
彼が耳元でささやいた。
その言葉に、私の下半身は再び熱くなる。

「小夜子さん、才能あると思う」
倭里亜が、言った。
「フラメンコってね、とっても、自由で、何も否定しないの。
どう踊ってもいい、役割も、しばりも、ないの」
倭里亜が、心からフラメンコを愛していることがわかった。

通ううちに、小夜子は、フラメンコの奥深さに
気づいていく。
ひとの真似を嫌う、フラメンコは、確かに自分に
ピッタリかもしれない。

レッスンを終えるといつもいいようのない達成感、充実感に
満たされる。
不思議だ、と小夜子は思う。
(こんな感覚、どの男性も与えてくれなかった……)
倭里亜は、そんな小夜子の心を見透かしたように、
言った。
「きっと、やめられないわよ小夜子さん、フラメンコ」。

Estudio ILIA FLAMENCA

Estudio ILIA FLAMENCA
(イリアフラメンコスタジオ)

住 所
神田神保町1-25-4 SH神田南神保町ビルB1
URL
店舗HP

Estudio ILIA FLAMENCA

なんて立ち姿が綺麗なひとなんだろう……。
それが第一印象。しかも、お話がうまい。
引き込まれる。
声もいい。そうかと思い至る。
体中が、楽器なのだ。
フラメンコの奥深さを思う。
倭里亜さんは、本が好き。芥川龍之介の短編がお気に入りだという。
言葉の余白を読み説くチカラ。
残り香を生む秘訣がそこにある。