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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第六十八話『もちもちで、しっとりしているもの』

「ワンダーランドだ」
ここを訪れる度に、涼川小夜子は、そう思う。
その名も、『@ワンダー』。
専修大学前の交差点近くにある古書店は、
あきらかに他のお店とは一線を画していた。
SF&ミステリ小説、映画関連品、アメコミ、海外コミックス……。
溝口健二監督『雨月物語』のポスターがあるかと思えば、
書棚を埋め尽くすアメリカンなテイスト、海外の怪奇小説に
頭が揺さぶられ、ワンダーランドに迷い込む。
心地いい……感覚……。

この書店を好きだった男がいた。
彼は小夜子を心底、束縛した。
毎日の行動を把握しないと気がすまない。
じっとり脂ぎった髪をかきあげ、
「キミは、ボクと出会って変わるよ」
というのが口癖だった。
彼はアメコミを愛し、
アメコミのフィギュアと共に生きていた。
ベッドの上でも、ねちっこく、舐めるのが好きで、
「ぺちゃぺちゃ」「くちゃくちゃ」という音ばかりが
部屋に響いた。
「キミの肌は、白くて、いいねえ」
どうしてあんな男と何度か寝たのか……。
小夜子は、思い出す。
彼には、自分をよく見せようとか、よく思われたいという
欲がまるでなかった。
ただ、己の欲だけに忠実で……。
複雑にこじれた自己顕示欲をもてあます男ばかりと
つき合ってくると、ときおり、欲しくなるのだ。
何も裏がない、言葉や行為が……。

『@ワンダー』の客層はさまざまだが、
最近、若い女性が増えたなあと、小夜子は思っていた。
そのわけは、容易に見つかった。
お店の2階『ブックカフェ二十世紀』だ。
古書とカレーと珈琲のお店として知られる、名店。
ここが今、若い女性に大人気になっている。
『米粉カフェ てぃだ』とコラボして、
ヘルシーで美味しいランチやスイーツが評判なのだ。
小夜子は、そこで働く武本侑子と仲良くなった。
侑子の可愛い容姿だけでなく、頭の良さ、気くばりの繊細さが
小夜子の心をとらえた。
侑子はかつて、生き方に迷っていたとき、
この『@ワンダー』の店先で青森のりんごを売っていた男に、
人生を教わった。
就労支援、社会貢献、生き方にはさまざまな色どりがあっていい。
侑子が三島由紀夫を好きなのは、三島が弱いところを隠し、
何事にも諦めないところ。自分もそんなふうでいたい……。
そう思っても、なかなかうまくいかない。
迷いながら、それでも前向きに生きる姿は、素敵だった。
小夜子は、『幻の米粉蒸しパン』を食べる。
奄美黒糖と、宇治抹茶の蒸しパン。
もちもちして、しっとり……。そして体にも良さそう……。
「侑子さんはどんな男性が好きなの?」
小夜子がそう尋ねると、
「嘘をつかないひと、それから、ひとを許す強さを持ったひとです」
と答えた。
侑子は、絵を描く。
素敵な、絵。
独特な色使いの、曼珠沙華が、小夜子のお気に入りだ。
この絵には、侑子の内面が正直に表れているなと小夜子は
思う。
正直に、心を映すものがあるひとは、
幸せだ。
そう思いながら、またひとくち、蒸しパンをかじった。

リリパット(Book House Cafe)

@ワンダー&ブックカフェ二十世紀

住 所
神田神保町2-5-4
URL
店舗HP

リリパット(Book House Cafe)

侑子さんは、自分のことを的確に話せる。
その話し方は明解で、わかりやすく、
そこには、自己顕示欲も自己憐憫もない。
こんなに自分の言葉をちゃんと持っている
ひとも少ない。
おそらくそれは彼女がこれまで人並み以上に
迷い、苦しんできたからだと勝手に思う。
ひとが持っていないものを
持っているひとは、必ずなんらかの
「人並み以上」が必要だから。
福島県郡山市出身の彼女の笑顔に
会うために、今日もたくさんの
お客さんが集う。
それにしても、この店の蒸しパン、
絶品!うまい!