「私、ここじゃない世界に行けるって信じていたんです!」
キラキラした大きな瞳で、そう語るのは、比嘉みなみさんだった。
ここは、神保町テラススクエアにある日本酒バル「神保町 青二才」。
ここで働くみなみさんは、涼川小夜子の友人だった。
いや、友人というより、何かいつも啓示をくれる神の子だった。
みなみさんは、幼い頃のことを話した。
「私、ギリシャ神話とか、大好きで。で、いちばん最初にはまったのが、
『ネバーエンディング・ストーリー』なんです。ファンタジーってすごくないですか?
だって、想像するだけで、いろんな世界にいけるんです」
「もしかしたら、恋も、ファンタジーなのかもしれない」
小夜子の隣で飲んでいた竹下が言った。
いつものように、いい声だなと小夜子は思った。
低音と高音が混じり合い、どちらも譲らずそこにある、そんな声。
「恋は…確かに、想像力ですよね」
みなみさんは、その先を話したそうだったけれど、他のテーブルの
お客さんに呼ばれて、その場を離れた。
「いい子だよね」
と竹下。
「そうね」
と小夜子。
「妻がね」
「ええ」
「妊娠、したよ」
さらっと竹下が言った。
まるで「明日は晴れだよ」「梅雨には紫陽花が咲くよ」と言っているみたいだった。
「そう」小夜子は、そんなことは何でもない、といった体で返した。
その夜。つきあって初めて、小夜子は竹下を拒んだ。
ホテルのベッドに一糸まとわずくっついているのに。
彼がどこを触っても、手のひらを叩いた。
ビシ、ビシという音が、室内に響いた。
「怒った?」
と竹下が訊くので、
「ううん、別に。そんなんじゃないわ」
と小夜子は答えた。
ただ、深いキスをした。深く潜るクジラのように、息をしない深いキス。
相手の唇を吸い取ってしまうような、接吻。
深夜。ひとりホテルを出る。
神保町の街をぶらぶら歩いていたら、いきなり飲み屋の戸が開き、
中から知った顔が出てきた。
「あれ?小夜子さん?」
砂田さんだった。
大学のセンセイ、砂田さん。
白髪頭。背は低く、髭も白い。
どこかインテリジェンスを感じるいでたち。
この前会ったときのように、小夜子と目が合うと、ニッコリ笑った。
その笑顔を見たとき、やっぱり子宮の奥で何かが蠢くのを感じた。
砂田さんは酔っていた。
「ああ、なんだか、あれですねえ、ファンタジーですねえ、深夜、
こんな美女に逢えるなんて…」
いきなり抱きついてきた。
「ちょっと砂田さん」
「ああ、失敬。年甲斐もなく、今夜は飲みすぎました。今日はねえ
あれです、妻のねえ、命日なんです。ああ、月が…綺麗です」
小夜子が仰ぎ見ると…どこにも月はなかった。
「さあ、どうしましょうか。物語は、始まったばかりですよ、小夜子さん。
いや、この物語は、終わらないかもしれない」
みなみさんは、笑顔が素敵だ。 沖縄の東村出身。東京に出てきて、初めて桜が舞って散るのを見たという。 みなみさんの故郷では、桜は、ボトっと落ちるらしい。 「神保町 青二才」はオーナーが岐阜出身のこともあり、岐阜の美味しい日本酒も 置いている。 今夜も、みなみさんは、日本酒を抱え、お店を闊歩している。

- 第四十六話『手札の順番を変えてはいけない』(すごろくや)
- 第四十六話『手札の順番を変えてはいけない』
- 第四十伍話『能面は、知っている』(書肆 山本店)
- 第四十四話『少女の羽は、夜、開く』(「珈琲舎 蔵」)
- 第四十参話『替え玉がついてくる、人生』(博多ラーメン「めんめん・かめぞう」)
- 第四十弐話『ゾウを飲み込んだ、ウワバミの哀しさ』(欧風カレー ボンディ神田小川町店)
- 第四十壱話『混ざるほどに極みへ向かう……』(欧風カレー ボンディ神田小川町店)
- 第四十話『鳥の目が、見ている……』(永森書店)
- 第参十九話『舌にのせて、味を楽しむ』(Bon Vivant)
- 第参十八話『自分の頭に、身を投げる』(らくごカフェ)
- 第参十七話『恋の温度、ふちの焦げ目』(pizzeria zio pippo)
- 第参十六話『太さと重さを手で測る』(金沢テニスショップ)
- 第参十伍話『猫の尻尾は、つかめない』(猫本専門 神保町にゃんこ堂)
- 第参十四話『入るとき、出ていくとき』(喫茶さぼうる)
- 第参十参話『もつの煮込みと、柔らかいそれ』(加賀亭みなみ)
- 第参十弐話『無限大に響く、スピーカーのように』(JAZZ OLYMPUS!)
- 第参十壱話『濡れた午後と、カフェオレの泡』(ギャラリー珈琲店 古瀬戸)
- 第参十話『三つの線が同時にそこにあるとき』(『お茶ナビゲート』)
- 第弐十九話『ゆっくり急げ』(雑貨『FESTINA LENTE』)
- 第弐十八話『男は、征服した女の寝乱れた顔を、見ている。』(hair&gallerybooks『moloco』)
- 第弐十七話『エックスであってNOではない』(サクラカフェ 神保町)
- 第弐十六話『妖精に出会う夜』(三省堂書店)
- 第弐十伍話『指は嘘をつかない』(神保町花月)
- 第弐十四話『炒め過ぎない』(謝謝)
- 第弐十参話『小さいけれど、精巧な何か』(呂古書房)
- 第弐十弐話:『Sに気づく夜』
- 第弐十壱話:『角度が大事』
- 第弐十話:『鳥は、鳥は、木に眠り』
- 第十九話:『夜の過ちを消せるペン』
- 第十八話:『南の島にいこうよ』
- 第十七話:『Jazzの夜に』
- 第十六話:『手触りの記憶』
- 第十五話:『顔を形作るもの』
- 第十四話:『ネバーエンディング・ストーリー』
- 第十参話:『万葉かるたのささやき』
- 第十二話:『茶色の下に隠れているもの』
- 第十一話:『煮込まない、寝かさない』
- 第十話:『消しゴムでも消せない匂い』
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- 第七話:『わたしと あそんで』
- 第六話:『三位一体』
- 第伍話:『雨と月』
- 第四話:『仮面の下の顔』
- 第参話:『背徳の智恵子抄』
- 第弐話:『花魁の美人画・裏を返す』
- 第壱話:『春の琴・指の感触』
- 第参十弐話『無限大に響く、スピーカーのように』(JAZZ OLYMPUS!)

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