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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第十四話『ネバーエンディング・ストーリー』

「私、ここじゃない世界に行けるって信じていたんです!」
キラキラした大きな瞳で、そう語るのは、比嘉みなみさんだった。

ここは、神保町テラススクエアにある日本酒バル「神保町 青二才」。
ここで働くみなみさんは、涼川小夜子の友人だった。
いや、友人というより、何かいつも啓示をくれる神の子だった。
みなみさんは、幼い頃のことを話した。
「私、ギリシャ神話とか、大好きで。で、いちばん最初にはまったのが、
『ネバーエンディング・ストーリー』なんです。ファンタジーってすごくないですか?
だって、想像するだけで、いろんな世界にいけるんです」

「もしかしたら、恋も、ファンタジーなのかもしれない」
小夜子の隣で飲んでいた竹下が言った。
いつものように、いい声だなと小夜子は思った。
低音と高音が混じり合い、どちらも譲らずそこにある、そんな声。
「恋は…確かに、想像力ですよね」
みなみさんは、その先を話したそうだったけれど、他のテーブルの
お客さんに呼ばれて、その場を離れた。

「いい子だよね」
と竹下。
「そうね」
と小夜子。
「妻がね」
「ええ」
「妊娠、したよ」
さらっと竹下が言った。
まるで「明日は晴れだよ」「梅雨には紫陽花が咲くよ」と言っているみたいだった。
「そう」小夜子は、そんなことは何でもない、といった体で返した。

その夜。つきあって初めて、小夜子は竹下を拒んだ。
ホテルのベッドに一糸まとわずくっついているのに。
彼がどこを触っても、手のひらを叩いた。
ビシ、ビシという音が、室内に響いた。
「怒った?」
と竹下が訊くので、
「ううん、別に。そんなんじゃないわ」
と小夜子は答えた。
ただ、深いキスをした。深く潜るクジラのように、息をしない深いキス。
相手の唇を吸い取ってしまうような、接吻。

深夜。ひとりホテルを出る。
神保町の街をぶらぶら歩いていたら、いきなり飲み屋の戸が開き、
中から知った顔が出てきた。
「あれ?小夜子さん?」
砂田さんだった。
大学のセンセイ、砂田さん。
白髪頭。背は低く、髭も白い。
どこかインテリジェンスを感じるいでたち。
この前会ったときのように、小夜子と目が合うと、ニッコリ笑った。
その笑顔を見たとき、やっぱり子宮の奥で何かが蠢くのを感じた。
砂田さんは酔っていた。
「ああ、なんだか、あれですねえ、ファンタジーですねえ、深夜、
こんな美女に逢えるなんて…」
いきなり抱きついてきた。
「ちょっと砂田さん」
「ああ、失敬。年甲斐もなく、今夜は飲みすぎました。今日はねえ
あれです、妻のねえ、命日なんです。ああ、月が…綺麗です」
小夜子が仰ぎ見ると…どこにも月はなかった。

「さあ、どうしましょうか。物語は、始まったばかりですよ、小夜子さん。
いや、この物語は、終わらないかもしれない」



日本酒バル 神保町 青二才

日本酒バル 神保町 青二才

住所
神田錦町3-22神保町テラススクエア1F

 店舗サイト

『日本酒を持つ手』

みなみさんは、笑顔が素敵だ。 沖縄の東村出身。東京に出てきて、初めて桜が舞って散るのを見たという。 みなみさんの故郷では、桜は、ボトっと落ちるらしい。 「神保町 青二才」はオーナーが岐阜出身のこともあり、岐阜の美味しい日本酒も 置いている。 今夜も、みなみさんは、日本酒を抱え、お店を闊歩している。