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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第弐十話『鳥は、鳥は、木に眠り』

「小夜ちゃんと気が合いそうな女性を、紹介するよ」
砂田が言った。
砂田は神保町界隈の大学に勤める教授だ。
涼川小夜子は、最近、この胡麻塩頭の壮年男性とつきあっている。
彼の定宿で逢瀬を交わし、彼がまとうバーボンと葉巻の香りに
身を委ねている。
砂田が連れて行ってくれたのは、
『CHEKCCORI 〜韓国の本とちょっとしたカフェ』。
韓国語の小説や詩、エッセイ、児童書、漫画、実用書まで約3000冊が置かれ、韓国語の学習書も充実している。
カフェと名がつくように、店内では韓国伝統茶やマッコリやビールが飲める。
「やあ、奈緒子さん!」
砂田が声をかけた女性は、まるで森の妖精のように美しかった。
「あら、砂田さん、お久しぶりです」
笑顔が輝く。邪念も屈託もない笑顔。

小夜子は軽く嫉妬した。
私はいつから輝かしいものから顔を背ける人間になってしまったのか…。
そんな小夜子の思いとは別に、奈緒子は、一冊の絵本を見せた。
「これ、私の大好きな絵本なんです」。
母が子を抱く淡い絵の表紙に、ハングルの文字がデザインされたように
浮かぶ。
「どんな、絵本なんですか?」
小夜子が尋ねると、
「そうですねえ、日本で言えば子守歌。タイトルは『鳥は 鳥は 木に眠り』」。
「鳥は、鳥は、木に眠り…。素敵な響き」
「ねずみは ねずみは 穴に眠り…っていうふうに、村のさまざまな生き物が眠りにつくというお話なんです」

鳥は、鳥は、木に眠り…。
私は今夜、どこに眠るんだろう…。
小夜子は思った。
砂田と、奈緒子と、小夜子で、マッコリを飲む。
小夜子の心にさっき去来した寂莫感が、麻痺していく。
「私、幼い頃、韓国に移り住んだんですが、この絵本に描かれている
家の床の色が、なんだか懐かしくて…。
韓国のたいていの家は、黄色の石なんです。
オンドルといって、いわゆる床暖房」。
奈緒子が絵本を見せながら話した。

「この店の名のチェッコリっていうのは、日本語に訳すと、そうだなあ、
学生と先生の打ち上げパーティーって感じかな。ともに学んできたあとに
やってくる至福のひとときってことなんだな、はははは」
砂田が言った。
小夜子は、奈緒子さんに会って、心に不思議な感情が流れ始めていることに
気がついた。
…私はもう、砂田と別れなければならない。彼と乗った小舟は、
とうに岸辺に着いていた…。
そう思った瞬間、下腹部にしびれが走った。
砂田に貫かれる瞬間を、疑似体験した。
何度も何度も下から突き上げられる快感を追体験した。

「なあ、奈緒子さん、素敵なひとだろ?」
砂田が小夜子を見たとき、彼女は彼の皺を彼の唇のぬめりを、
冷静に観察した。
「そうね、奈緒子さんに会えて、よかった。この絵本、買いたい」
小夜子は、韓国の子守歌の絵本を買った。
そして、砂田の横顔を見ながら、彼女は思った。

…今日が、あなたと私の打ち上げです…。
店の外に出ると、冷たい風が吹き抜けた。
むしろその冷気がうれしかった。
「どうする、来るか?ホテル」
砂田が言うので、
「もうやめにする」
小夜子は言った。
「そうか」
砂田はそれ以上、何も言わずに、スタスタと白山通りを歩いて行った。
後ろは、振り返らなかった。

CHEKCCORI(チェッコリ)

CHEKCCORI(チェッコリ)

住所
神田神保町1-7-3 三光堂ビル3F

 店舗HP

『韓国の絵本を持つ手』

奈緒子さんは、チェッコリの店長でありながら、 韓国語教室の運営や韓国語の絵本を読む会、 ハングル書芸教室の通訳、日本語学校の教師など、とにかく忙しい。 でも、そんな忙しさを感じさせない柔らかであったかい笑顔の持ち主だ。 幼い頃から15年過ごした韓国への想いを胸に 今日も笑顔でお客さんに接する。