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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第八話『白い花びらの行方』

「この花、小夜子さんにピッタリだと思うよ」。
竹下が言った。いつもの低い声で。
この声を聴くたびに、涼川小夜子は体の奥が熱くなる。
「これ、なんていう名前の花、ですか?」
竹下が店長の千晶さんにたずねた。
「ウィットピクチャー。チューリップの中でも珍しい希少種です」。
白い花びらが、まるで王冠のように愛らしく開いている。
小ぶりだけど、存在感がある。

小夜子と、竹下は、神保町のフラワーショップにいた。
街にはクリスマスのネオンがまたたいている。
今夜、小夜子の部屋に竹下が泊まる。
彼は足を止めて、「花、買って帰ろう」。
そう言ったのだ。

神保町のお花屋さん『ビリジアン』。
店長の佐藤千晶さんは、いつものようにふわっと笑って迎えてくれた。
「私も、チューリップが大好きなんです。これ、可愛いですよね」
ウィットピクチャーを愛おしそうに眺めた。
以前聞いた千晶さんの話を思い出した。
「かつてOLとして忙しく働いていたとき、ある夜、キンモクセイの
香りをかいだんです。久しぶりでした。花の香りをかぐなんて。
ああ、いつの間にか、秋がやってきていたんだなって思って。
そのとき、感じたんです。私、ちゃんと季節を感じられてないな、
そんな人生、もったいなって。だから、旬っていうか、季節を感じられる
職につきたいなって。食でもよかったけど、たまたま母がお花の先生を
やっていたり、私もフラワーアレンジメント教室に通っていたので。
それで……お花を。幼い頃、大好きだった本、
立原えりかの『月と星の首飾り』にも、お花がいっぱい出てきたんです。
いいですよね、花って。ちゃんと表情があるんです。いろんなことを、
教えてくれます」

小夜子は思った。
千晶さんは、綺麗な目をしている。いつも綺麗なものを見ているから、
より輝いている。
人間は、毎日見ているものに似てくる。
毎日何を見るかで、目つきや表情が変わってくる。

「じゃあ、これを花束にしてもらっていいですか?」
竹下が黒い財布を出して、チューリップを買った。
千晶さんが、手際よく、ウィットピクチャーを包む。
シクラメンでもポインセチアでもなく、
この白い花を選ぶところが、竹下らしかった。
花びらをかすかに触る細い指が、艶っぽく見えた。

今夜、この白い花びらたちは、私がさまざまな形で抱かれるのを
見るんだろう。
スプリングがきしむ音も、私の叫びに似た声も、竹下の
激しい息づかいも、聴くんだろう。
そう思うと彼女たちと、恥ずかしいような、共犯者のような、
不思議な背徳感を共有した。

「さあ、行こうか」
竹下が持ったチューリップが、透明な包装紙の中で、
微笑むように、揺れた。

花屋 Viridian(ビリジアン)

花屋 Viridian(ビリジアン)

住所
神田神保町2-48 3510BLD1F

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ウィットピクチャーを持つ手

千晶さんの笑顔は、まるでチューリップのように 可愛らしくて、清々しい。 彼女の優しい声を今日仕入れたばかりの花たちが 聴いている。 「この子たち」。 千晶さんは、花々をそう、呼ぶ。 そんなふうに呼んでもらって、 ダリヤが微笑み、キンギョソウが笑った。