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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第弐十四話『炒め過ぎない』

「ウチのお店の人気メニュー、豆苗のニンニク炒め、塩味で味付けした
だけのシンプルな料理」
神保町の路地裏にある中華料理店『謝謝(シェシェー)』の
オーナーにして看板娘(!?)の周輝が言った。
真っ赤なチャイナドレスに身を包み、笑顔を絶やさない。
お客は店の料理と、周輝に逢いたくて、ここに通う。
涼川小夜子も、周輝のさっぱりした性格と、このお店の味付けが
好きだった。
「ねえ、周輝さん、美味しく中華を作るコツはなに?」
小夜子が尋ねる。
「そうね、やっぱり、強い火力。それから」
「それから?」
「炒め過ぎないことかな。炒め過ぎると、野菜がぺちゃんこになるから」
小夜子は、ふと、思う。
恋も、そうかな。相手を思う火力≠ェ何より大事だ。
激しいまでの情欲も『火力』のうち。
でも、その勢いにまかせて『炒め過ぎる』と、あっという間に心は、
ぺちゃんこになる。しなしなと生を失くす。

周輝は、中国河北省の出身。2000年に日本にやってきたが、
うまくなじめずに、一度故郷に帰った。
でも……やっぱり日本が忘れられずに、再来日。
今度は腰をすえて、店を出したいという願いを叶えた。
『謝謝』には、赤いお守りがぶら下がっている。つるし雛。
金魚がいる、福の字が揺れる。店に響くフライパンをかえす音、炒める音。
店を包む唐辛子とニンニクの香り、客の笑い声。
その中心に周輝がいる。彼女は四川、広東、美味しいものならなんでも
取り入れる。
彼女の存在に福が宿り、それが拡散し、常連客は絶えない。

いつか小夜子が聞いたことがあった。
「ねえ、周輝さん、あなたが大切にしている人生訓はなに?」
周輝は、しばらく天を仰ぎ、そして静かに答えた。
「真心をひとに渡すと、必ず帰ってくるってこと」
彼女が言うと、ストンと心の奥に落ちた。
「周輝さんは、ひとを好きになると、自分から告白するの?」
「無理無理、ぜったい、ないよ、それは。恥ずかしくて、自分からは
いけない。小夜子さんは?」
「私は…」
準の顔を思い浮かべる。

若き劇団員の準は、よく食べた。
体が細いのに、むしゃむしゃ食らう。決して行儀がいいとは言えない
食べ方。
それを見ながら、小夜子は思う。
「今夜、私は、この子に抱かれるんだろう」
準の口元を、エビチリソースがぬめぬめと汚す。
「うまいっすね、ここ。マジ、ハンパねえ」
金色の髪を汚れた手でかきあげようとするのを制する。
ウエットティッシュで拭いてあげる。
こんなこと、するんだ私、と自分でも意外な気持ちになった。

ベッドの上の姿を想像する。
彼の火力≠ヘ強いに違いない。
一直線に私を貫き、料理しようとするだろう。
でも、お願い、炒め過ぎないで。
私は、ぺちゃんこになってしまう。
ぺちゃんこになる前に、やめて。炒めるのを、やめて。

「小夜子さん、オレ、このあとバイトっす。じゃあ、すんません。
今夜は御馳走っす」
Pと書かれたキャップをかぶり、彼は去っていった。

ひとりテーブルに残った私に、周輝さんが水を持ってきてくれた。
「ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
「今日はふられたみたい」
「そうでもないみたいよ」
周輝さんがそう言ったとき、ガラガラと店の戸が開き、準が戻ってきた。
「オレ、やっぱ、今日、バイト休むっす」

謝謝

謝謝

住所
神田神保町1-32-4 白石ビル

『謝謝』店長・周輝さん

魅力的なひとだ。 全てを包み込むあったかい笑顔に癒される。 このお店に常連客が集うわけがわかった。 周輝さんは、決してでしゃばらない、いばらない。 控えめでいて、芯が強い。 その凜とした強さが美しさを支えている。 一緒にいるだけで、福が、やってきそうだ!