• グルメ部
    今柊二の「定食ホイホイ」
  • 読書部
    とみさわ昭仁の「古本“珍生”相談」
  • 文芸部
    ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」
  • グルメ部
    高山夫妻の「おふたり処」
  • ジャズ部
    DJ大塚広子の「神保町JAZZ」
    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第四十八話『ストレスは風味を落とし、色をくすませる』

「ほんとうに、このお店は、いつ来ても居心地がいいね」
涼川小夜子は、言った。
彼女は、神保町の路地裏のイタリアン『flat Grill&Wine』にいる。
「いつでもふらっと寄ってもらえるお店にしたい」と、
店長兼シェフの阿部哲也は考えて、店名を『フラット』にした。
その言葉どおり、一度来たらまた来たくなる空気感に満ちている。
美味しい食べ物と、豊富なドリンクメニューはもちろん、
阿部の奥さん、久美子の存在は大きい。
ふわっとした優しい笑顔。ナチュラルで妖精のような応対に心が和む。

人気メニューのひとつに、
『さくらポークの厚切り炭火焼きグリル〜柚子胡椒とたまり醤油のソース』がある。
小夜子は、柔らかいお肉に、ナイフを入れた。
「ほんとに、美味しい、このさくらポーク」
と言うと、厨房から哲也が言う。
「ミネラル豊富な水と、ストレスのない場所で育てられた豚は、
違います」
「ストレスは、よくないんだね」
カウンターの小夜子がさらに尋ねる。
「お肉が固くなるみたいですね。色もさくら色にならないんだそうです」
今度は、久美子が答えた。

哲也と久美子は、有楽町のガード下の焼き鳥屋で知り合ったという。
同じバイト仲間。久美子は、ピアノ科を出て音楽を志していた。
哲也はさまざまな飲食店を経験。でも、同じ店で知り合った久美子とは、
不思議に波長が合ったという。
「ボク、あんまりしゃべらないほうなんですけど、何もしゃべらなくても、
大丈夫だったんで、久美子とは……」

小夜子は、二人を眺めて、いい夫婦だなあとしみじみ、思う。
このお店の居心地の良さをつくっているのは、二人の温度感、
距離感なんだと気づく。
和人と別れることを決めた夜、小夜子は、ふらっとこのお店に入った。
何の前知識もなく、そこに店があることも知らずに。
閉店間際の『flat』に入った瞬間、何かに包まれるような
懐かしさを覚えた。
キウイとミックスハーブのサラダと、海老のアヒージョで、
白ワインを飲んだ。
食べた瞬間、思わず笑顔になる。
自家製のくるみパンも、びっくりするくらい、美味しかった。
(どうしてだろう……私、今、心は最悪な状態なのに、
……笑顔になってしまう)
小夜子は、久美子を見る。
久美子は、優しく微笑みを返す。
その笑顔はまるで
(人生、いろいろありますけど、まあ、なんとかなりますよ)
と言ってくれているようだった。

ドアが開いて入ってきたのは、常連さんらしき男性だった。
小夜子の二つ向こうのカウンター席に座り、哲也と話す。
「哲ちゃん、さくらポーク、まだある?」
「あ、ごめん、今日はなんだかめっちゃ混んでて、その……」
男性が、思わず、小夜子の皿を見た。
どうやら彼女がオーダーしたのが最後の「さくらポーク」。
「あ、ああ、どうも、すみません」
小夜子が言うと、
「あ、いえ」
と彼は笑った。そのはにかむような笑顔が、可愛くて、よかった。
「よかったら、その、食べかけですけど、これ、どうぞ」
小夜子が、皿の上の切れ端を勧めた。
断るかと思ったが、
「ええ? いいんですか? うわ、うれしいなあ、ほんと、いいんですか?」
男性は、目を輝かせて、久美子さんが用意したフォークでポークを
口に運んだ。
「うわ、やっぱ、うまいなあ、ああ、美人のポークをもらうと
さらにうまい!」
と言った。
その言い方も可愛くて、小夜子は、嬉しくなった。
男性は、小夜子の目をしっかり見て、こう言った。
「お肉の代わりに、ワイン、ご馳走させてください。あ、ボク、
沢木って言います。
ライターやってます」



flat Grill&Wine 神保町

flat Grill&Wine 神保町

住所
神田神保町1-42-8
Esperanza神田神保町1F
営業
月〜土・祝前日
11:30〜14:30 18:00〜23:00
定休
日・祝(土は不定休)
URL
店舗HP

『お店で毎日焼いている自家製くるみパンを持つ久美子さんの手』

久美子さん……素敵なひとです。
久美子さんにだったら、
何でも話してしまえそうな
そんなあったかい包容力を感じてしまう。
それにしても、このお店、
めっちゃ美味しい!
焼き鳥焼いたり、ハンバーグつくったりしてきた哲也さんの料理に対する修業が
全部、生きている感じがする。
ちなみに、哲也さんは、
キョンキョンが好きだったようで、
初めて自分のお小遣いで買ったCDは、
『マイスイートホーム』だったそう。
そう……このお店、
あなたのマイスイートホームに、
きっとなる!