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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第六十弐話『路地裏の赤い哀しみ』

(まさか、こんな日々が来るとは、思わなかった…)。
涼川小夜子は、黄昏時のすずらん通りを見ながら、
心でつぶやいた。

古書店は、休業。
神保町から、人影が消えていく。
学生がいなくなる。
リュックを背負った白髪の男性がいなくなる。
スーツ姿のしゅっとした男性も、いなくなる。
行きつけのカレー屋さんも、ヨガスタジオも、…、
あの、ホテルも…。

(世界でいちばん哀しい女は、
捨てられた女より、忘れ去られた女…
と言ったのは、マリー・ローランサンだったかな、
まるで、この街は、忘れ去られたみたい…)。

夜中、小夜子は、部屋の電気を消す。
ベッドサイドテーブルのオレンジ色の灯りだけ、
残して。

触る。自分で、触る。
いちばん自分が好きな触り方で。
体を重ねた男性で、100点をとったひとは、いない。
ただ、ときどきマイナス10点で、
ときどき、120点だったひとは、いた。

彼は、小夜子が女子大生のとき、神保町の山岳関係の
スポーツショップに勤めていた男性だった。
およそイメージの山男とはほど遠い、
華奢で…いや貧弱で、色白で、繊細な体。

キスが、驚くほど下手だった。
舌の動きが直線的で、手旗信号のよう。上下、左右。左右、上下。
体の合わせ方は、ラジオ体操のようだった。
「腕を大きく回す運動!足を開いて胸の運動です!
体を横に曲げる運動です!明日もまた頑張りましょう!」

ただ、指先の使い方が、神だった。
輪郭をなでられるだけで、脳髄に閃光が走る。
なかなか中心部にいかないことで、いってしまう。
いったい、こんな技、どこで覚えたのだろう…。
平行移動で圧をかけながら降りてくる。
ぐんと、下に降りたかと思うと、ふわっと急上昇。
そして今度は急降下。
ジェットコースターさながらの小刻みな振動で
何度も果てる。

今も、その動きを自分でやってみるほどだ。

(あの彼とは、どうして別れたんだっけ?)

せめて、こんな世の中、夢の中で歴代の男たちに出会いたいと
思うけれど、夢に出てくるのは、気味の悪い、妖怪ばかり…。
ハッとして起きると、ぐっしょりと、すごい寝汗。

人恋しい。
ほんとうに、人恋しい。
誰かに、ぎゅっと抱きしめてほしい。
そうしないと、自分がバラバラにほどけてしまいそうだ。

小夜子は、今日も夕暮れの路地裏に佇む。
路面を赤く照らした夕陽は、まるで泣いているように、
哀しく小夜子の顔を照らした。


神田すずらん通り

神田すずらん通り

住 所
靖国通り駿河台下交差点と白山通りを結ぶ老舗通り
URL
商店街HP

『人影まばらな神保町』

この間、平日のお昼時、すずらん通りを歩いたら、 『キッチン南海』に行列ができていなかった。
こんな光景、見たことがない。
すんなり入れて、カウンターに座る。
コロナの自粛…、
6月には少し解除されていると、いいな。
神保町に、ひとが戻ってきてくれると、いいな。