「ウチの劇場、7月7日で、10周年なんですよ、小夜子さん、
ぜひ、観に来てくださいね!」
涼川小夜子は、神保町花月の小橋川優香に、そう言われた。
優香に誘われるまま見た、お笑いのライブは、どれも面白く、
日常を忘れることができた。
笑いは、いい。一瞬で、別世界に行ける。
小夜子は、優香がいいと言っていた本を読んだことがある。
『プラネタリウムのふたご』。不思議な話だった。
星の見えない村のプラネタリウムで拾われ、彗星にちなんで名付けられた
ふたご。
ひとりは手品師に、ひとりは星の語り部になる。
それぞれの運命に従いながら、二人が果たした役割とは何か?
役割を果たす…小夜子は、最近、役割という言葉に敏感になっている。
この本を読むと、
好奇心旺盛で、いつもキラキラした目で世界を眺めている
優香の原点を見つけたような気になる。
そして優香が、ちゃんと自分の役割を果たそうとしているように感じた。
その夜、小夜子は、若きイケメン劇団員、準と神保町花月に向かった。
今、準に足りないもの、それは笑いだ。どんな芝居にも
おかしみと哀しみが感じられること、
それが大事だと小夜子は思っていた。
いつしか、準の教育係という役割を自分に課しているようだった。
暗闇の客席に座る。
小夜子の右側に準が座る。若い汗の匂いがする。
そこで、小夜子は、驚いた。左側の席に…砂田がいたのだ。
かつて小夜子の体を探求した大学教授がそこにいた。
白い髪に、白い髭は相変わらずだった。こちらを振り向きもせず、
あたりまえのように
小夜子の左手をとる。もう別れたというのに。
砂田は、彼女の親指を舐めるように触る。人差し指と親指で、
はさんでは離し、離しては、触る。
そして、指の腹でゆっくりと撫でる。
傷口にふれるように。
右側の手を、準が握ってきた。彼は固く固く、ただ懸命に握る。
汗ばんでいて、熱い。真っすぐだ。ゴールに向かって…。
嬲るという漢字が頭をよぎる。下半身に不思議な圧がかかる。
お笑いが始まった。
準は、手を引っ込める。でも、砂田は前戯のような指の愛撫をやめない。
なんだろう、小夜子の体に異変が起きる。
熱い、ほてる、ダメだ、このままでは、ダメだ。
砂田の指は、執拗に小夜子の左手で踊る。
天使が鍵盤を弾くように。悪魔が終末を奏でるように。
「あっ」小さく声が出た。
指で星の煌めきを見たのは、初めてだった。
その星の飛沫は、今までのどんな光より、淫靡な余韻を残した。
「どうした?」
準が耳元で小さく、訊く。
「ううん、なんでもない」
声が、かすれた。
準は、気にも留めずに、笑いの海に落ちていった。
演目が終わる前に、砂田は席を立った。
小夜子はもちろん、あとを追わない。
「どうでした? 小夜子さん」
優香が、出口で迎えてくれた。
「とっても……よかったよ」
「ありがとうございます!」
神保町花月を出るとき、小夜子は無意識に探してしまう。
砂田の影を。
「ああ、面白かった!」
準が、左手を握ろうとしたが、小夜子は、自ら右手を差し出した。
左手にはまだ、砂田が、居た。
優香さんの、優しい包容力はなんだろう。 なんでも話したくなる親近感。 彼女を慕って劇場に来るお客様がいるのもうなづける。 今年の7月7日に10周年を迎える『神保町花月』は、きっと、 神保町という文化の街の花になる。 優香さんの笑顔があるかぎり。

- 第四十六話『手札の順番を変えてはいけない』(すごろくや)
- 第四十六話『手札の順番を変えてはいけない』
- 第四十伍話『能面は、知っている』(書肆 山本店)
- 第四十四話『少女の羽は、夜、開く』(「珈琲舎 蔵」)
- 第四十参話『替え玉がついてくる、人生』(博多ラーメン「めんめん・かめぞう」)
- 第四十弐話『ゾウを飲み込んだ、ウワバミの哀しさ』(欧風カレー ボンディ神田小川町店)
- 第四十壱話『混ざるほどに極みへ向かう……』(欧風カレー ボンディ神田小川町店)
- 第四十話『鳥の目が、見ている……』(永森書店)
- 第参十九話『舌にのせて、味を楽しむ』(Bon Vivant)
- 第参十八話『自分の頭に、身を投げる』(らくごカフェ)
- 第参十七話『恋の温度、ふちの焦げ目』(pizzeria zio pippo)
- 第参十六話『太さと重さを手で測る』(金沢テニスショップ)
- 第参十伍話『猫の尻尾は、つかめない』(猫本専門 神保町にゃんこ堂)
- 第参十四話『入るとき、出ていくとき』(喫茶さぼうる)
- 第参十参話『もつの煮込みと、柔らかいそれ』(加賀亭みなみ)
- 第参十弐話『無限大に響く、スピーカーのように』(JAZZ OLYMPUS!)
- 第参十壱話『濡れた午後と、カフェオレの泡』(ギャラリー珈琲店 古瀬戸)
- 第参十話『三つの線が同時にそこにあるとき』(『お茶ナビゲート』)
- 第弐十九話『ゆっくり急げ』(雑貨『FESTINA LENTE』)
- 第弐十八話『男は、征服した女の寝乱れた顔を、見ている。』(hair&gallerybooks『moloco』)
- 第弐十七話『エックスであってNOではない』(サクラカフェ 神保町)
- 第弐十六話『妖精に出会う夜』(三省堂書店)
- 第弐十伍話『指は嘘をつかない』(神保町花月)
- 第弐十四話『炒め過ぎない』(謝謝)
- 第弐十参話『小さいけれど、精巧な何か』(呂古書房)
- 第弐十弐話:『Sに気づく夜』
- 第弐十壱話:『角度が大事』
- 第弐十話:『鳥は、鳥は、木に眠り』
- 第十九話:『夜の過ちを消せるペン』
- 第十八話:『南の島にいこうよ』
- 第十七話:『Jazzの夜に』
- 第十六話:『手触りの記憶』
- 第十五話:『顔を形作るもの』
- 第十四話:『ネバーエンディング・ストーリー』
- 第十参話:『万葉かるたのささやき』
- 第十二話:『茶色の下に隠れているもの』
- 第十一話:『煮込まない、寝かさない』
- 第十話:『消しゴムでも消せない匂い』
- 第仇話:『古書の香り、不思議の国』
- 第八話:『白い花びらの行方』
- 第七話:『わたしと あそんで』
- 第六話:『三位一体』
- 第伍話:『雨と月』
- 第四話:『仮面の下の顔』
- 第参話:『背徳の智恵子抄』
- 第弐話:『花魁の美人画・裏を返す』
- 第壱話:『春の琴・指の感触』
- 第参十弐話『無限大に響く、スピーカーのように』(JAZZ OLYMPUS!)

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