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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第弐十伍話『指は嘘をつかない』

「ウチの劇場、7月7日で、10周年なんですよ、小夜子さん、
ぜひ、観に来てくださいね!」
涼川小夜子は、神保町花月の小橋川優香に、そう言われた。
優香に誘われるまま見た、お笑いのライブは、どれも面白く、
日常を忘れることができた。
笑いは、いい。一瞬で、別世界に行ける。

小夜子は、優香がいいと言っていた本を読んだことがある。
『プラネタリウムのふたご』。不思議な話だった。
星の見えない村のプラネタリウムで拾われ、彗星にちなんで名付けられた
ふたご。
ひとりは手品師に、ひとりは星の語り部になる。
それぞれの運命に従いながら、二人が果たした役割とは何か?
役割を果たす…小夜子は、最近、役割という言葉に敏感になっている。

この本を読むと、
好奇心旺盛で、いつもキラキラした目で世界を眺めている
優香の原点を見つけたような気になる。
そして優香が、ちゃんと自分の役割を果たそうとしているように感じた。

その夜、小夜子は、若きイケメン劇団員、準と神保町花月に向かった。
今、準に足りないもの、それは笑いだ。どんな芝居にも
おかしみと哀しみが感じられること、
それが大事だと小夜子は思っていた。
いつしか、準の教育係という役割を自分に課しているようだった。

暗闇の客席に座る。
小夜子の右側に準が座る。若い汗の匂いがする。
そこで、小夜子は、驚いた。左側の席に…砂田がいたのだ。
かつて小夜子の体を探求した大学教授がそこにいた。
白い髪に、白い髭は相変わらずだった。こちらを振り向きもせず、
あたりまえのように
小夜子の左手をとる。もう別れたというのに。
砂田は、彼女の親指を舐めるように触る。人差し指と親指で、
はさんでは離し、離しては、触る。
そして、指の腹でゆっくりと撫でる。
傷口にふれるように。

右側の手を、準が握ってきた。彼は固く固く、ただ懸命に握る。
汗ばんでいて、熱い。真っすぐだ。ゴールに向かって…。
嬲るという漢字が頭をよぎる。下半身に不思議な圧がかかる。

お笑いが始まった。
準は、手を引っ込める。でも、砂田は前戯のような指の愛撫をやめない。
なんだろう、小夜子の体に異変が起きる。
熱い、ほてる、ダメだ、このままでは、ダメだ。
砂田の指は、執拗に小夜子の左手で踊る。
天使が鍵盤を弾くように。悪魔が終末を奏でるように。
「あっ」小さく声が出た。
指で星の煌めきを見たのは、初めてだった。
その星の飛沫は、今までのどんな光より、淫靡な余韻を残した。

「どうした?」
準が耳元で小さく、訊く。
「ううん、なんでもない」
声が、かすれた。
準は、気にも留めずに、笑いの海に落ちていった。

演目が終わる前に、砂田は席を立った。
小夜子はもちろん、あとを追わない。

「どうでした? 小夜子さん」
優香が、出口で迎えてくれた。
「とっても……よかったよ」
「ありがとうございます!」

神保町花月を出るとき、小夜子は無意識に探してしまう。
砂田の影を。
「ああ、面白かった!」
準が、左手を握ろうとしたが、小夜子は、自ら右手を差し出した。
左手にはまだ、砂田が、居た。

神保町花月

神保町花月

住所
神田神保町1-23
HP
オフィシャルサイト

『神保町花月』よしもとクリエイティブエージェンシー・小橋川優香さん

優香さんの、優しい包容力はなんだろう。 なんでも話したくなる親近感。 彼女を慕って劇場に来るお客様がいるのもうなづける。 今年の7月7日に10周年を迎える『神保町花月』は、きっと、 神保町という文化の街の花になる。 優香さんの笑顔があるかぎり。