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    2012〜15年掲載

ピエール大場の官能小説「路地裏のよろめき」

ピエール大場著者プロフィール
神保町にある某会社の開発本部部長。長野県出身。かつて「神保町の種馬」と異名をとったほどのドン・ファン。女性を誘うときの最初の言葉は、「美味しいもの食べにいきましょう!デザート付きで」
『NISSAN あ、安部礼司』HP

第四十弐話『ゾウを飲み込んだ、ウワバミの哀しさ』

「なんでも、心で見なくちゃいけない。大切なものは、
目には見えないから」
『ボンディ』でチキンカレーを食べながら、MOMOは、言った。
「サン・テグジュペリ…」
涼川小夜子は、答えた。
MOMOは、いつも持ち歩いているウワバミのぬいぐるみを手にする。
「小夜子さん、私、この言葉の意味が、最近ようやくわかってきた」
MOMOは、髪を耳にかけながら言う。
白くて丸い顔が、愛らしい。
黒縁の眼鏡に、小夜子の顔が映る。

かつて愛した男、舎利倉和人は、『星の王子さま』のウワバミの描写に
こんな意見を言った。
「あれは、おそらくナチの脅威を表現したんじゃないかなって思うんだ。
ゾウは平和の象徴。それを一瞬にして飲み込んでしまうウワバミは、
独裁政権だよ。飲み込まれて、胃液で溶かされて、やがて平和は
姿をなくす」

どうして、再会したんだろう…。
このところ、和人のことばかり考えてしまう自分を、小夜子は
持て余していた。
「私、子どもたちを教えているんですけど、
目には見えない大きな何かを教えたいような、
そんな気持ちになるんです。
でも、それって、なんなんだろうかって、
あとから、考えてもわからなくて…。
ただ、帽子の絵を見ても、ゾウを飲み込んだウワバミみたいに
見えるっていう感性を大切にしてほしいなって、思います」。
キラキラ輝くつぶらな瞳でMOMOは、話す。

小夜子は、そんなMOMOの表情を目で追いながら、昨晩の情事に
思いをはせていた。
ゆうべは、久しぶりに、よろめいた。
映画『ミスター・グッドバーを探して』でダイアン・キートンが演じた
女教師のように。

ジャス&バー『コンセール』で出会った男性と一夜を共にした。
彼は外科医だった。
「今日はね、とびきり難しいオペがあって…」
彼の攻め方は執拗で淫靡だった。
「もうやめて」と言えば言うほど、グッドバーは勢いを増した。
めちゃくちゃにしてほしいという願望がありながら、寸前で、
待ったをかける。
小夜子は思った。
「わたしは、完全によろめくことすら、できない」
外科医は、上半身を起こして、言った。
「ありがとう。最高だったよ」
灯りの下の彼は、皺だらけの、おじいさんに見えた。

「小夜子さん、目には見えない大切なものって、なんだと思いますか?」
真っすぐにそう聞かれて、言葉をなくす。
「さあ…。MOMOさんは、なんだと思うの?」
MOMOは、しばらく斜め右上を見て、考える。
「そうですねえ…それはやっぱり、ひとを想う心だと思います。
すみません、何もひねりとか、なくて…」

ひとを、想う心…。

小夜子は、今すぐ、和人に会ってキスの嵐を受けたいという衝動を
覚えた。
背骨が折れるほど、抱きしめられたいと、願った。

「あたし、なにやってんだろう…」
小夜子がそうつぶやくと、MOMOは、言った。
「小夜子さんの心の中にいる、星の王子さまは、
きっと、大好きな薔薇のことを考えているんですね…」

『ボンディ』の店の窓に、秋の陽射しが差し込み、
テーブルの上の薔薇を、照らした。



『ボンディ神田小川町店』

欧風カレー ボンディ神田小川町店

住所
神田小川町3-9神田小川町3‐9
AS ONE ビル2F
営業
11:00〜22:00(L.O.21:30)
定休
無休
URL
店舗Twitter

『ウワバミのぬいぐるみを持つMOMOさんの手』

MOMOさんは、最近、神保町に引っ越してきた。
幼い頃から本に触れてきたので、この街が大好きだった。
住んでみてわかったことがある。
神保町がいかに便利で快適な街か、そして、
神保町のひとが、
いかにあったかくて優しいか。