今年も押し迫って参りました。しばらくこの場を借りて、本をなかだちとした「大正百年」という話題を続けてきましたが、大正百年もいよいよお終わりが近づいてまいりました。昨今のデジタル世界の発展ぶりを目の当たりにしていますと、古本屋として気になるのは今から先の百年ののちに、「本」をとりまく状況がどのようになっているか、ということです。はたしてそこに古本屋の居場所など、あるのかしらん?

   いや、唐突にそんなことを言いながら、今回話題にする『百年後の日本』、いまから百年後ということではありません。大正12年の百年後という話なんです。ですから舞台は現在よりもう少し先、2029年になります。題名からも想像できましょうが、SF小説です。一種のユートピア小説といってもよいかもしれません。ただ、実をいえば文学史に残る名作というわけではない。問題作というほどでもありません。ですのでほとんどの方はご存じないでしょう。
  内容は大正12年の関東大震災で、たまたま研究調査のために秩父の武甲山に来ていた小松春夫という青年が洞窟のなかで生き埋めになってしまい、そのまま仮死状態になって106年の後、つまり2029年に発見され、科学の力で蘇生。未来世界で生きていくという内容です。未来世界での春夫の体験と、未来の日本人たちとの接触で、日本がどうやってこんな国になっていったか、というのを説明するのが小説の眼目。こんな風にみるなら政治小説といってもいいかもしれませんね。
  小説のなかで2029年の日本は洲単位になっています。市町村という枠はなくなっている。日本は六つの洲になっているんです。たとえば関東地方は第二洲。その洲庁にあたる東京では、皇居を中心にものすごく巨大な50のアパート、というか、何千人も収容できる集合住宅に別れていて、その集合住宅を「閣」という言い方をしています。春夫は彩雲閣というところで暮らします。人々の日常生活や教育も、そうしたブロック単位で日々を暮らしている。書かれたのが昭和のはじめですから朝鮮や満洲も日本です。
  すでに私有財産は廃止されて、人々の労働時間は四時間。生活に関わる様々な制度も完備されていて、……などなど。やはり天皇制ではあるんですが、全体として社会主義的なユートピアが実現した日本を描いている。その成立過程では血塗られた革命というようなドラマはありません。この間に色々と波風はあったのですが、政治的に民主的に、ゆっくりゆっくり百年かけて理想の社会を実現してゆく。春夫と未来人との対話を通して、その理想社会への過程を語るのがこのテーマといってよいと思います。
  昭和のはじめという時期を考えると、この小説の構想はちょっと興味深いのですが、残念ながら小説的な面白さ、ドラマには欠ける、またちょっと未来社会が理想的にすぎて鼻につく。なんだかなー、という感じです。ひとつまちがったら北朝鮮かなとも。結局、春夫君は蘇生してから一年の後、ばら色の社会生活のなかで、献身的な看護をしてくれた桜子さんと結ばれて新婚旅行に旅立つ、という甘っちょろい結末。小説としてそれほど面白くはありません。そんなこんなで文学史、SF史などに燦然と輝くという作品ではないんです。

  そんな作品なら紹介するまでもないじゃないかと言われそうですが、実はこの作者、松谷与二郎さんという人がちょっと面白い。嶋田清次郎という作家をご存知でしょうか。大正の半ばごろに若くして『地上』という作品をひっさげて登場、一世を風靡した小説家です。ここでは詳しくのべ得ませんが、直木賞を受賞した杉森久秀『天才と狂人の間』など、小説の題材になったり漫画でもにもなったりしています。この嶋田清次郎が、文壇的に失脚してしまう、海軍少将令嬢・舟木芳江監禁事件の、舟木さん側の弁護を担当したのが実は松谷与二郎でした。
  松谷は、いわゆる人権派の弁護士で、この小説の内容からも想像できるように、後には日本大衆党の政治家になりまが、虎ノ門事件の犯人、アナキスト難波大介の国選弁護人のひとりにも選ばれています。虎ノ門事件というのは大正十三年に、ステッキ仕込み銃による皇太子つまりのちの昭和天皇暗殺未遂事件でして、難波は即死刑判決となりました。この事件によって当時の山本権兵衛内閣は総辞職し、また難波の父である衆議院議員・難波作之進は自殺(なんと餓死!)しています。
  実は松谷の小説の内容からは、嶋田清次郎訴訟事件よりこちらの方が興味深いかもしれない。小説の設定である、青年が関東大震災に遭遇して仮死状態になったというのも、虎ノ門事件で死刑になった難波大介や、大正期のアナキストたちのことがひっかかってきます。急進的な彼等のことを側で見ていて、松谷弁護士はその純粋さや情熱に同情したのかもしれません。ただし行動には否定的だったのでしょう。これは想像にすぎませんが、死罪となった難波大介を未来に復活させ、作者なりの理想主義、穏健なユートピアへの道のりを提示してみようと考えたのではないだろうか、それがこの小説に結実したのではないだろうか、というような印象を受けるのです。
  もうひとつ、さらに興味深いのは、この人の子どもにひとり、末っ子にあたる人が、『龍の子太郎』『ちいさいモモちゃん』で知られる童話作家の松谷みよ子さんなんです。二男二女の末っ子だったらしい。父親の与二郎氏は昭和12年に亡くなっています。日本が戦争の道を走っていく、とばくちあたりですね。その末っ子がのちの児童文学の大家、松谷みよ子。さきほど作品が甘いとか、理想的すぎるとか失礼なことを記しましたが、文学のなかでそうした"理想"が最も生かされるのは、実は児童文学ではないでしょうか。与二郎氏の思いは、きっと娘である松谷さんに受け継がれたのではないだろうか。
  勝手にこんなところまで想像をふくらませるのはどうかと思いますが、誰も知らないような本を拾い出して、今は忘れられてしまったその背景を知る。これは大いなる古書の魅力、古本屋の愉しみのひとつでもあるのです。今も昔も。そしておそらく百年先も。

写真1『百年後の日本』
(松谷与二郎著 昭和5年 光学堂)

これは初版本で、函付仮綴じ本なのですが、翌年に上製本で再版も刊行されており、当時はけっこう売れたのかもしれません。この本、掘出しの可能性ありますよ。

写真2『芦原皇帝勅語』半紙墨書(印)
芦原将軍、戦前は知らぬ者がないほどの人気者でした。将軍こと芦原金次郎は櫛造りの職人だったのですが、自分が大将であると思いこみ、やがて天皇への直訴未遂事件をおこして松沢病院へ。とかくその言動は耳目をひき、毎日にように新聞記者がおとずれて彼の社会分析や政財界への提言を記事にし、昭和12年に没するまでマスコミの寵児としてもてはやされました。どこまでが狂気なのか、芦原将軍は来訪者を相手に手製の大礼服姿を記念撮影させて撮影料をとったり、この「勅語」を売りつけたり、なかなかちゃっかりしていました。実は、島田清次郎が同じ精神病院に入院しており、昭和5年に没するまで、芦原将軍の秘書としてしばしば手紙の返事を代筆したりしていたそうです。まさかこの葦原将軍の勅語、もしかしたら島田の筆? 残念ながらこれは昭和10年なので、すでに島田は没していました。

写真3『地上』
(島田清次郎 新潮社出版 大正8年〜)

(第一部 地に潜むもの・第二部 地に叛くもの 以下四部まで刊行)
実質的な島田のデビュー作で、出版されるやいなや大正期の若者たちに熱狂的に支持され、清次郎は一世を風靡します。『地上』は大正期に最も売れた本のひとつといわれています。
『天才と狂人の間』
(杉森久英 河出書房 昭37 第47回直木賞作品)

「島田清次郎が自分自身を天才だと信じるようになったのは、彼があまりにも貧しくて、父もなく、家もない身の上だったからにちがいない。彼は金沢の町はずれの小家の二階に間借りして、仕立て物の賃仕事をする母親と二人きりで暮らしているうちに、どうしても自分は世間に名を挙げならぬと決心した。」
……若き清次郎は自伝的な作品「地上」(第一部)を書きあげます。これが生田長江に絶賛され一大ベストセラーに。が、傲慢な性格と派手な私生活で文壇からうとまれ、清次郎は孤立してゆきます。そこに海軍中将令嬢監禁事件というスキャンダルが重なって、事件自体は罪とはならなかったものの、終には誰も相手にしなくなり、精神を病んでしまいます。
実を言うと"島清"の『地上』は今だと読むがしんどい作品ですが、この杉森さんのモデル小説は、人物や作品名は変えてあるものの、実に面白い。