志ら乃学習帳
最終回 落語家 立川志ら乃 5月10日連休の疲れどば〜の日
「どうして落語家になったんですか?」

  これまでも、そしてこれからも当然のごとく受け続ける質問。何度も何度も同じ質問をされるからといって、ぶら下がり会見時の麻生さんのような態度をとったりはしないので、気軽に質問をぶつけてもらって結構なのだが、回数を重ねると段々同じ回答をするのに飽きてきて「妹が勝手に応募して・・・」などと軽くボケる時がある。まぁその後ちゃんとした話しをしようとするための準備体操のようなものなのだが、中には「妹さんがいらっしゃるんですか?」と半分マジな顔つきで聞き返す人もいるので要注意だ。「いや、妹はいないんですけどね」と答えると「では、誰が応募したんですか?」と応募の線が消えず、その後いくら「入門」という言葉を使っても、「で、その応募の時の気持ちは?」とその人にとって落語家への入門イコール「応募」となってしまって酷く驚いた事があった。

  いくつかの動機が一つにまとまっての入門だとは思うのだが、その中の一つとして私がよく言うものに「何をやってもいい職業として落語家を選んだ」というのがある。今は落語家以外のタレントなどが落語を演じることは普通になったが、私が入門するあたりでは落語は落語家以外の人間がやってはいけないという不文律というか、雰囲気がまだかなりあったように思う。落語に惹かれつつもコントや漫才などお笑い芸人になりたかった私は、両方出来る状態が欲しかった。そしてありがたいことにそれを既に体現していたのが志らくだった。「そうか、落語家なら落語もできるしコントや漫才もできる。だったら落語家の方が得だと思って志らくを選びました」と損得勘定バリバリの回答をする機会が増えた。やりたい事はなんでもやってしまえ!という前向きな回答として使ってきたが、よくよく考えると「やりたいことを選べる状態」が欲しい、つまりは「やりたくない事はやらないぞ!」という決意表明でもあると書いていて気が付いた。今後この回答頻度は減るかもしれないが、だからと言って「師匠の芸に惚れまして・・・」などという言葉は言えば言うほど胡散臭いし、そんなものは自身の芸で体現すればいいことなので、質問者がその答えを欲しそうな顔をしても絶対に言わないだろう。また使い勝手のいい志望動機を考えねばならない。

平成10年3月10日

  この日が正式な入門日だが、弟子入りの意を言葉にして志らくへ伝えたのは同年2月23日。その日は私の24回目の誕生日の前日だった。芸人になるなら一歳でも若いほうがいいだろうという焦燥感が後押ししての前日告白だった。しかし結果24歳での入門になったし、一歳違いということが元で何かに影響を与えた事など皆無なのだが、あの時の無駄な焦燥感が決心の後見人であったのは間違いない。

  現在も続いている志らく主催の素人向け落語塾「らく塾」の一期生であった私は、当時三軒茶屋のビルで月一行われていた授業が終わったあと弟子入り志願をしようと心に決め出かけた。しかし出鼻をくじかれるというか、運命はこういう瞬間なのかと思うような状態になった。それは会場ビル一階でエレベーターを一人待つ志らくの姿が目に飛び込んで来たのだ。既に4人いた弟子は先に会場の準備をしていたのであろう、傍には誰もいなかった。授業が終わったあとにと決めて来たはずだが、この状態は「その」状態なのではと瞬間的に思った。
  「あっ・・・お疲れ様です・・・」
正直、お疲れ様ですと言ったかどうかははっきりしないが、なんともあやふやな挨拶をしたのは覚えている。そして 「あの・・・弟子にして下さい」 と切り出した。すると一拍いや半拍くらいの短い間で「来ると思った」という言葉とともにニヤリと笑われた。授業後、師匠となる志らくと私と二人きりで喫茶店にて面談のようなことが行われ、後日親を連れて面談をする日取りなどを決めた。これが、平成10年2月23日の出来事だ。

  このコラムを書くに当たって師匠に「師匠は弟子の入門について覚えているものですか?」と聞いてみた。「ん〜大体のことは覚えてるよ」と。そこで上記の私の入門時のことを覚えているかと続けると、「来ると思ったという言葉を言ったかどうかは覚えてないが、来るだろうと思っていたのは確かだ」と。そして「鵜の木でやったらく塾の発表会で『たぬき』を聞いた時に、これはじきに来るんだろうなと思った」と続いた。なんとなく漠然と来ると思ったのではなく、案外はっきり「思った瞬間」があったことに少し驚いた。

  思うところあり

  「その6」のおしまいの所にも書いた「落語のピン」の映像を久しぶりに見返した。思うところがあった。これ以上何を思ったのか書いてしまうとその気持ちが消えてしまいそうでどうやっても書く事はできないのだが、私にとってかなり上向きの「思うところ」があった。そして自分自身を振り返るという作業がこんなにもこれからの方向性や、思考へのいい刺激になるとは思ってもみなかった。本当に良い機会であった。おしまいに一言。「何をやってもいい職業」とは言ったが職業を聞かれて「落語家です」という以外の答えをした事はない。かっこつけて言うのであれば「落語のためなら何をやってもいい職業」ということだ。まぁそれを「落語家」というのだが。

▼若き日の志ら乃さん

平成11年時、前座時代の志ら乃さん。

志ら乃大作戦 第11話
演目=「お神酒徳利」ほか
日程 平成22年5月26日(水)


志ら乃大作戦 第12話
演目=「紺屋高尾」ほか
日程 平成22年6月21日(月)


志ら乃大作戦 第13話
演目=「五人廻し」ほか
日程 平成22年7月15日(木)



  上記3公演とも
  開場 18:30、開演19:00
  会場 内幸町ホール
  料金 全席指定2,000円


お問合わせ
夢空間http://yume-kukan.in/2010/05/1113.html/


  
  
  

  立川志ら乃さんは、私と同じ明治大学出身なので「神保町になじみがあるから」と連載執筆を依頼したのだが、「学生時代はまともに街を歩いたことがない」とおっしゃった。まあそんなもんである。「では、これから知っていただきましょう」と、志ら乃さんが神保町のことを学習するコラム、名付けて『志ら乃学習帳』がスタートした。が、ふと気づけば「志ら乃さんが考えていることをもっと知りたい」がためのテーマを投げかけるようになっていた。そして、「なるべく志ら乃さんが書きたいことを、書きたいように」ということばかり考えていた。文章では、高座とも、普段の雑談ともまた違う志ら乃ならではの個性に溢れていたからだ。
  そんななかで、読者の方々から頂いた「志ら乃さんの長文が読む機会ができて嬉しいです」という声は嬉しかった。また、先日の志ら乃大作戦では、神田古書店さんの姿をお見かけした。いざ最終回を迎えると、神保町の多くの方が「志ら乃さん連載、好きだったのに」と言ってくださった。そうゆう声は、もっと大きく、何度も言ってほしいものだ。
  『志ら乃学習帳』は、今回をもってひとまず最終回ですが、そう遠くない未来に、新しい連載をスタートしたいと思っています。志ら乃ファンの皆様、ぜひ首を長くして待っていてください。ひとまず、一年間のご愛読ありがとうございました。そしてまたいつか。

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