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カレーのレシピが最初に日本で紹介されたのは、1872(明治5)年の仮名垣魯文著『西洋料理通』。特徴は小麦粉が使用されていること! つまり日本に最初に伝わったのは、インドカレーではなく、西洋料理としてのカレーだったことがわかります。
また、同じく1872(明治5)年の敬学堂主人著『西洋料理指南』では、葱・生姜・ニンニク…と今と変わらない材料に加え、なんと「赤蛙」と書いてあります。なんとなく高級食材っぽい感じはしますが、おいしかったかどうかは不明です。
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じゃあ、日本にインドカレーを伝えた人は誰なの? それはラス・ビハリ・ボースさんです。ボースはインド独立運動家で、過激派として指名手配されて日本に亡命。その際、新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵にかくまわれ、中村屋に本格的なインドカレーレシピを伝えたそうです。
ちなみに、「ボースさんをかくまいましょうよ!」と言い出しっぺだったとされる相馬愛蔵の妻・相馬黒光は、作家や画家を次々と虜にした美人として知られ、調べていくととても面白いです(興味がある方は自分で調べましょう)。その娘・俊子もこれまた美人。ボースは俊子と結婚し、中村屋の血縁となりました。
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説1=神保町は本の街なので、食事中も本を読む人が多く、片手で食べられるカレーが重宝された。説2=昔ながらの下町だから間口の狭い店が多く、カウンターで食べられるカレー店が適していた。説3=共栄堂やエチオピアといった有名店があったので、それに引き寄せられるようにカレー店が次々出店した。
おそらく、これらの説が複合的に絡み合って、街にカレーの引力が働いたのでしょうね〜。と、カレー2大巨匠の水野仁輔さんと小野員裕さんがよく言ってました。
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なんと三省堂書店では、カレー関連本や雑誌のほかに、全国のレトルトカレーを販売していました。店舗改装に伴い、いったん撤去するものの、人気コーナーなのでまた復活するかも。
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