お茶の水・秋葉原、地名の由来2

今回は秋葉原編。「お茶の水」は、いくつかの表記にバリエーションがあるのに対して、「秋葉原」は、読み方にいくつかのバリエーションがあったのです。

秋葉原編 
秋葉原は「あきはばら」だけじゃなかった!

 お茶の水では、「お茶の水」という地名が存在しないのに対し(北海道には御茶の水町がありますが)、秋葉原は「秋葉原」という地区がちゃんと存在します。しかし、地図で確認していただくとわかることですが、秋葉原(町)は、ごくごく限られた、小さな地域でしかありません。今や秋葉原と言えば、日本全国に轟く地名と言っても過言ではないにも拘わらず、です。
 それは「秋葉原」の呼称に由来しているのかもしれません。

 今は誰もが当たり前のように「あきはばら」と呼んでいます。しかし、ここが「あきはばら」と定着したのは近年になってからで、それ以前はいくつかの呼称が存在していました。後述しますが、複数あった呼称から「あきはばら」と定着したのは、一説にはとある人の読み間違いからとも言われているくらいなのです。
 その前に、まず秋葉原が「秋葉原」となるきっかけはなんだったのでしょう。
 名前の由来にも諸説あるようですが、大元は静岡県「秋葉神社(あきはじんじゃ)」がそのベースになっていることは間違いないようです。
 以下、むかし話風に――

 その昔、明治2年の暮れのこと。今の秋葉原一帯に大火事があったとさ。
 1000戸以上も焼けてしまう、それはそれは大火事だったとか。
 江戸は火事の名所と言われておったが、時代が変わって東京になっても町はまだその名残をとどめておったのじゃなぁ。
 さて、ときの政府は、焼け野原になった跡地をそのままにして、明治天皇の勅命を受けて焼け野原の一部に鎮火社を建てたとさ。今のJR秋葉原駅あたりじゃ。
 人々は、ここに建立された鎮火社を当時、江戸の火防(ひぶせ)の神として広く知られていた「秋葉大権現(あきはだいごんげん)」が祀られたと勘違いした。それで人々が、この鎮火社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼ぶようになったのじゃ。それがいつの間にか自然と広まってしまった。
 焼け野原は、この鎮火社とともに火災の緩衝地帯として空き地のままであったのじゃ。
 そこで、人々は「秋葉様」「秋葉さん」と呼ぶ一方で、「秋葉の原(あきはのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだとも言われておる。秋葉様と秋葉っぱらを一緒くたにして「あきばがはら」なども呼ばれていたとも言われている。
 それが秋葉原の由来じゃ。          
 鎮火社はやがて秋葉社となり、鉄道開通を受けて上野へ移転されることになった。それに伴って「秋葉神社」となった。
 ちなみに大元の「秋葉大権現」が祀られている秋葉神社は静岡県浜松市にある。ここは「あきば」ではなく「あきは神社」と呼ばれておる。
 …だとさ。

 さて、今では「あきはばら」と呼ばれたり、愛称のように「アキバ」と呼ぶこともごくごく自然になっています。
 しかし、先のように「秋葉大権現」は「あきは」と読みます。一方で、台東区に鎮火社が移動した「秋葉神社」は「あきば」と読みます。秋葉大権現が祀られた時点で、「秋葉様」「秋葉さん」と人々が呼ぶようになったときに、「あきはさま」だったのか「あきばさま」だったのかは判然としません。
 なんにしても人々が秋葉原を「アキバ」と呼ぶ背景には、「秋」の「アキ」と、「葉」の「バ」があると思います。まさか「原」の「バラ」から「バ」を持ってきてはいないはずです。
 すると、ここを「あきはばら」と呼ぶことがそもそもおかしいのではないか、という疑問が出てくるわけです。「あきばはら」なら「アキバ」で納得できるというものです。なぜ「あきばはら」で定着しなかったのか。
 「いやいや、それは二子玉川を『フタタマ』と言わずに『ニコタマ』というのと同じことだよね」と茶々を横から入れる人もいるでしょうが、そりゃ、ちょっと話が違うだろって話でしょうか。

AKB48AKH48AKP48になっていたかも? 

 で、まぁ、半ばどっちでもいいよ的な話になってきましたが、では秋葉原がいつから「あきはばら」になったのか。
 諸説あるようですが、一番、ポピュラーとされているのは、鉄道駅が開設された際に、「秋葉原」の読み方を知らない鉄道官僚が勘違いして「あきはばら」と読んだという説です。
 秋葉原に鉄道が開通したのは1890年(明治23年)のこと。「あきはばら」の名前が定着するのもそれ以降と言われています。 
 駅は旅客を扱わない貨物専用の駅でした。その時点の駅名表示は「あきはのはらえき(Akihanohara Station)」だったのです。
 これを、英語表示がないところで、さらに「秋葉原」の読み方を知らない人間が誤って「あきはばら」と読んだとしても、あながちありえない話ではなさそうです。
 現に、「秋葉原」と名称はあっても、「あきばっぱら」「あきばはら」「あきばがはら」なんて言われていたそうですから、知らない人が初めてこの3文字に接したときに、中尾彬ふうに「あきはばらだね」と、さも知ったふうに言い放ったとしてもおかしくはないかもしれません。
 つまるところ、この鉄道官僚の説が有力だとして、この人が「あきはばら」と言わなければ、秋葉原は「あきばはら」であったかもしれないし、「あきばっぱら」「あきばがはら」「あきばのはら」「あきはのはら」であったかもしれないのです。
 だから、『ととろ』のめいちゃんが「あきはばら」と上手に言えないがために「あきばはら」と言ったところで間違いとは、言えないのです。
 そう考えると、今、絶好調の「AKB48」も「AKB」では収まらないことになってきて、「AKH48」「AKP48」「AKBP48」になっていたかもしれないし、さらに言えば「AKBGH48」、はたまた「AKBPPH48」「AKHNH48」なんてことになっていたかもしれません。
 だからどうしたと言われると、返す言葉もありません。

台東区松が谷にある現在の秋葉神社。もともとは今のJR秋葉原駅付近にあったものが、駅の開設に伴って、この松が谷に移設されました。



ここが秋葉原命名由来の地とは思えぬくらいひっそりとした境内。平日は人もなく閑散としています。



表通りに面している入口脇に立つ石塔。「秋葉神社」の文字がデンと構えています。



石塔脇にある英語表示。「AKIBA SHRINE」と記されています。ここが「あきは」ではなく「あきば」神社であることを立証しているような案内表示版です。



こちらは台東区台東にある秋葉神社。秋葉原命名の由来の秋葉神社は、松が谷にある秋葉神社とされています。同じ秋葉神社でも、こちらはあまり注目されていません。



現在のJR秋葉原駅。表記は間違いなく「Akihabara」となっています。



駅周辺も現在は大きな変化を遂げています。その昔、ここに鎮火社があったとは信じられないくらい秋葉原は劇的に変化しました。



秋葉原は地名としても存在しています。JR秋葉原駅の北側。小さな一画に1~4丁目まで台東区秋葉原という住所があります。

カテゴリー: 地名由来 | コメントは受け付けていません。

お茶の水・秋葉原、地名の由来1

第4回目の今回は「お茶の水」「秋葉原」の地名由来について調査。
調べてみると、おもしろいエピソードがたくさんあることがわかりました。
まずは「お茶の水編」。

お茶の水編
「お茶の水」は湧水が命名由来?

 JR御茶ノ水駅・西口を出て、目の前のスクランブル交差点を交番へ向かって渡ると、交番のすぐ脇にししおどしがあります。初めて見る人は「ええ、こんなところに?」と驚かれるかもしれません。小さなししおどしの横に、縦長の「お茶の水」の石碑と、さらに横長のお茶の水命名由来に関する挿話が刻まされた石碑が並んでいます。
 普段、ここを行き交う人の中でも、この石碑を意識して見る人は少ないかもしれません。それほどにひっそり且つ「こんなところに?」という意外性があります。
 さて、お茶の水の命名由来は、この石碑にその全容が記されています。

 『聖堂の西比井名水にてお茶の水にも
 めしあげられたり
 神田川掘割の時ふちになりて水際
 に形残る 享保十四年 江戸川拡張
 の後川幅を広げられし時 川の中に
 なりて 今その形もなし
 (再校 江戸砂子 より)

 慶長の昔、この邊り神田山の麓に
 高林寺という禅寺があった ある時
 寺の庭より良い水がわき出るので
 将軍秀忠公に差し上げたところ
 お茶に用いられて大変良い水だとお褒め
 の言葉を戴いた。それから毎日
 この水を差し上げる様になり この寺を
 お茶の水高林寺と呼ばれ、この邊
 りをお茶の水と云うようになった。
  其の後、茗渓又小赤壁と稱して
 文人墨客が風流を楽しむ景勝の地
 となった。時代の変遷と共に失われ
 行くその風景を惜しみ心ある人達が
 この碑を建てた。
   お茶の水保勝会 坂内熊治
   高林寺    田中良彰
   昭和三十二年九月九日』

……と。

 漢字が多く、面倒で読みにくいか、と。
 簡略に記すと――
 慶長時代(徳川2代将軍秀忠の時代)に、この辺りの神田山の麓に高林寺という禅寺があり、この寺の庭からよい湧水が出たといいます。そこで、鷹狩りの帰途にあった将軍秀忠に差し出したところお茶に用いられて、「大変良い水である」とお褒めの言葉をもらったとか。それから毎日この水を献上するようになり、この寺を「お茶の水高林寺」と呼ぶようになったと言います。それがやがてこの周辺をお茶の水と言うようになった始まりだと。
 石碑の前段には、湧水はもともと神田川の水際にあったものが、享保14年の江戸川拡張の折に川幅を広げられ、今では川底に沈んでしまったということが記されています。
 いつの時代にも、残しておきたい名勝は時代の都合によってどんどん削られていくもので、このお茶の水の湧水も、当時は拡張工事の一大プロジェクトにはかなわずに儚くつぶされてしまったのでしょう。

お茶の水碑。高さ1メートルの石碑です。ここには「お茶の水」と表記されています。



お茶の水の命名由来が記されている石碑です。これは横80cmくらいでしょうか。「お茶の水」碑は奥に、この命名由来の石碑は前部にあります。



2つの石碑が並ぶ敷地にひっそりと佇むししおどし。もともとの出水地点ではないので、今は人工的に水が出てくるようになっているようです。



“おちゃのみず”は 
「お茶の水」「御茶ノ水」「御茶の水」? 

 ひと口に「おちゃのみず」と言っても、表記はさまざまです。残念なことに「おちゃのみず」としての地名はなく、「お茶の水橋」と「お茶の水交差点」にその名前がついているのみ。どの表記が正式な「おちゃのみず」なのか。
 先の石碑は「お茶の水」と記されています。しかし目の前のJR駅は「御茶ノ水」、地下鉄丸ノ内線も同じく「御茶ノ水」です。さらに千代田区線も「新御茶ノ水」。駅名はすべて「御茶ノ水」で統一されているようです。
 これに即してかどうか、ネットwikipediaでも「御茶ノ水」として情報が掲載されています。正式もなにもあったものじゃないというのが本当のところでしょうが、それにしてもバラエティがありすぎます。
 そもそもの成り立ちからして「湧水をお茶に使った」ということですが、通常、「茶を飲む」ときの「茶」は、「お茶」ではないかと。ただ、この地名としての「おちゃのみず」の「お」は、「茶」に対してつけたというよりは、将軍への献上物として丁寧語としての「お」なので、「御」が正しいとも取れるわけですね。
 だから、なんだっていう話で、ここでの結論は要するにどちらでもいいのでは?ということになります。

 ただ、こうもバラエティに富んでいると、名称や店名、学校名などにどの字を使うかさぞ迷ったのではないでしょうか。
 ここで、各派閥別(?)の主な名称をご紹介します。

  お茶の水派
   お茶の水橋 
   お茶の水交番
   お茶の水女子大学
   お茶の水ゼミナール
   お茶の水管弦楽団
   お茶の水下倉楽器
   お茶の水ホテルジュラク
   お茶の水ホテル
   お茶の水イン
   お茶の水図書館
   千代田区立お茶の水小学校・幼稚園
   お茶の水はり灸専門学校
   お茶の水クリニック
   お茶の水血管外科クリニック
   新お茶の水ビルディング
   お茶の水公園

  御茶ノ水派
   JR御茶ノ水駅
   東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅
   東京メトロ千代田線新御茶ノ水駅
   御茶ノ水電子製作所
   ホテルマイステイズ御茶ノ水
   御茶ノ水呼吸ケアクリニック
   日本郵政御茶ノ水郵便局
   御茶ノ水ファミリークリニック★

  御茶の水派
   御茶の水美術学院
   御茶の水美術専門学校
   御茶の水書房
   御茶の水歯科
   北海道岩見沢市御茶の水町

 こうしてみると「お茶の水」「御茶ノ水」が主流で、「御茶の水」は少数派という…
 ……ええ? ちょっと待ちなはれ!
 今、最後にさりげなく「岩見沢市御茶の水町」って書いてなかったですか?
「おちゃのみずという地名はありません」なんて書いてあったのはついさっきのことです。それは大嘘だったわけか?
 なになに、北海道の御茶の水……?
 おお、ありますね。「御茶の水町」。
 そこは、北海道岩見沢市御茶の水町。
 函館本線幌向駅の周辺になります。
 そうでしたかぁ~。御茶の水ありましたかぁ~。
 ちなみに岩見沢市の御茶の水町の地名由来については調べていません。あしからず。
 おちゃのみず好きな方、ぜひ、北海道岩見沢市へも訪れてみてはどうでしょう。

「御茶ノ水」派の代表格、JA御茶ノ水駅。駅表記は、JRに限らず東京メトロ2駅も「~御茶ノ水」になっています。



「お茶の水」派のお茶の水幼稚園・小学校。お茶の水小学校は、以前は金華小学校と呼ばれていました。



お茶の水の石碑のすぐ横にあるお茶の水交番。ここは石碑に準じてか、すぐ近くからなのか「お茶の水」表記になっています。

カテゴリー: 地名由来 | コメントは受け付けていません。

神田・お茶の水の坂道探索

今月は、神田・お茶の水界隈にある
坂道を探索してきました。
個性的な通りが多い神田・お茶の水周辺ですが、
その個性を際立たせているのは、
坂道かもしれません。

狭い地区だけれど、意外に多い坂道

 お茶の水周辺には意外と言うべきなのか、当然という言うべきなのか坂道が多い。ただし坂道が集中している箇所はごくごく限られた地区になります。一歩秋葉原まで下るとそこから先の以東はほとんどが平坦になります。所謂、関東平野の中心部的な位置になるからでしょうか。裏返すとお茶の水や本郷など以西、以北には、小さいながらも台地が多く存在し、坂道も多いということになるわけです。
 でも、先に触れたようにお茶の水周辺に坂道が多く存在するのは、主に西から猿楽町、神田駿河台、外神田。さらに神田川を挟んで北側の文京区本郷と湯島の辺りになります。この周辺は「本郷台地」と呼ばれる台地の一角に当たり、お茶の水周辺はこの台地の境目(終着点)になります。
 NHKテレビ『ブラタモリ』でこの台地が取り上げられたときに、こんなエピソードが紹介されていました。本来この本郷台地は神田川で途切れることなく、本郷・湯島から猿楽町・神田駿河台へとひとつながりになっていた、と。神田川はこの本郷台地を削って、今のルートになったと言われています。
さて、肝心の坂道。
 お茶の水周辺の個性的坂道を紹介します。

幽霊坂の由来はやっぱりお化け?

 まずは幽霊坂(写真1)。
 不気味な名前ですが、坂道の名前としてはポピュラーで、日本全国には数多くの幽霊坂が存在します。同じ千代田区でも2つあるくらい。全国の幽霊坂の名前の由来は、諸説あるようですが、だいたいが「~と言われている」で、決定的な由来理由は判然としていません。しかし、幽霊とつくからには少なくともお墓や幽霊が関係していることはほぼ間違いないようで、この場所も歴史を遡れば、墓地があったとか、毎晩必ず幽霊が出没した、なんてエピソードがあった場所なのかもしれません。
 もともとこの坂は本郷通りを挟んで、紅梅坂とひとつながりになっていたと、立て札に書かれています。なので、本来はもっと長い坂道だったのです。区画整理によって本郷通りで真っ二つに分断され、一方は紅梅坂となりました。今では、本郷通りのセンターライン上にガードレールが設けられているので、一気に2つの坂を走り抜けることはできません。
 幽霊坂の大きな特徴は、途中で直角に曲がること。これはお茶の水周辺にあっても稀有な形態で、同じ直角カーブがあるのは周辺では女坂のみ。
 コーナーは、溜まり場的なイメージもあります。よりによって幽霊坂に溜まり場があってもいいのか(幽霊が集まるしかない!?)と思いますが、そこは名前に恥ずかしくない風情をちゃんと醸している坂道と言えるのかもしれません。

(写真1)幽霊坂。周年工事のために全容がご紹介できませんが、午後の時間帯は常に日陰になり、いわくありげな曲がり角も、日中でもどこかさびしげです。



「幽霊坂」碑の文字もちょっとユニーク。



 本郷通りを挟んで西に伸びているのが紅梅坂(写真2)。紅梅だけに勾配が気になりますが、先のように途中で分断されたせいもあって、幽霊坂に比較するととても緩やかな坂道です。
 この緩やかさは、ここら周辺の坂道でもトップクラス?と思いきや、紅梅坂に負けてはいない、緩やかな勾配の坂道があります。
 甲賀坂と雁木坂、それに水道橋近くの小栗坂(写真3)です。
 甲賀坂、雁木坂にいたっては、これを坂道って呼んじゃいけないんじゃないかというくらいに勾配を感じられない坂道です。小栗坂は、それなりに傾斜が感じられる坂なのですが、その先にお茶の水周辺でもベスト3には入ろうかという急坂、皂角(さいかち)坂があるために、なんとなく緩やかに見えてしまうのかもしれません。

(写真2)紅梅坂。本郷通りを挟んで、幽霊坂の延長に位置する紅梅坂。傾斜は緩やかで、短く穏やかな坂道です。



(写真3)小栗坂。傾斜の緩やかな坂道が多い神田・お茶の水界隈の中でも、5本の指の入とうかいう緩やかな坂道です。



長く急な坂道たち

 皂角坂(写真4)は、水道橋からお茶の水へかけてJR総武中央線に添って伸びる坂道です。出発地はJRの高架を仰ぎ見る位置なのに、登りきると逆にJRを見下ろすことになります。ざっくりと見た感じでも高低差15~20mはあろうかという坂道です。この道はそのまま直進し、JR御茶ノ水駅の脇を抜け聖橋の袂へきて、ここから一気に下ります。これが淡路坂(写真5)。皂角坂から淡路坂までの道のりは、さながら峠越えになります。この峠が先に触れた本郷台地の地形を感じさせてくれます。
 淡路坂は、長さこそ皂角坂に比較してやや短いものの、皂角坂同様にJRの高架を上下するだけあって、傾斜も急で迫力のある坂道です。
 長い坂というと、文坂と新妻恋坂もあります。文坂(写真6)は、駿河台交差点からJR御茶ノ水駅へ向かって登って行く坂道です。ここは道幅や長さからボリュームのある坂道と捉われがちですが、傾斜的にはたいしたことがありません(なんの基準なんだ?)。緩やかで、長くだらだら続くのが特徴。たいしたことのない証拠に(かどうかは横に置いておくとして)、文坂よりも明大通りとしての認知度のほうが高く、ここが文坂と呼ばれていることを知る人は少ないかもしれません。坂の途中にひっそりと文坂の碑があります(写真7)が、これを知っている人はどれくらいいることでしょう。ここは人の行き来が多い通りでもありますから、通るときは碑を探してみてください。
 新妻恋坂(蔵前橋通り)は、妻恋坂交差点からサッカーミュージアム入口交差点で本郷通りに交差します。この間がすべて新妻恋坂だとすると、この辺り一帯でも有数の巨大坂になりますが、正確には清水坂下までの名称であるようです。その先に続く傾斜の道には、坂道としての名称がないということになりますね。
 坂道なのに。
 長く迫力のある坂道の極めつけは、この周辺では随一とも言えるのがお茶の水坂でしょうか。水道橋の交差点から順天堂大学病院方面へ伸びる外通りの坂道です。皂角坂とJRの線路をはさんで平行に伸びる坂道でもあります。
 ここは片側2車線で、距離も長い。どちらかというとこぢんまりとした風情の漂う坂道の多いお茶の水周辺にあって、ある意味坂道らしい坂道です。

(写真4)皂角坂。「さいかち坂」と呼びます。坂上から見下ろすと、吸い込まれるような印象を受ける坂道。すり鉢状というよりもむしろ球体の表面的に、盛り上がりながら下っていくような坂道です。



(写真5)淡路坂。JRの高架と並行している坂道。皂角坂と同じように、聖橋の交差点地点ではJRを見下ろす形になり、一気に下ってくるとJRを見上げることに。ここも本郷台地の高さを実感できる坂道です。



(写真6)文坂。文坂の名前の由来は不明のようです。この写真の右側が明治大学、さらに左側には、「法政大学発祥の地」の碑があります。



(写真7)文坂碑。お茶の水駅へ向かって右側を歩いていくと、足元にひっそりと小さな碑を見つけることができます。



神保町の名所、男坂&女坂、そして錦華坂

「神保町の坂道」と言って最初に思い浮かぶのは男坂と女坂ではないでしょうか。神田の名物、幽霊坂がそうであったように、男坂・女坂(写真8、9)も全国各地に多く存在します。このお茶の水周辺だけでも、実に3つの男坂・女坂があります。面白いことにそれぞれがペアであること。ちなみに神田明神の男坂・女坂は、男坂を上ってお参りし、女坂から下ってくるという風習になっているようです。してみると、全国の男坂・女坂もそのような風習になっているために、常に対になっているのかもしれません。が、こと神田猿楽町の男坂・女坂に関して言えば、ここを上り下りで分けている人はいないのではないでしょうか。近いほうを利用しているという人が圧倒的でしょう。
 この男坂・女坂は、通勤・通学などで毎日利用する人にとっては難所と言ってよく、下りこそ何の苦もないものの、上りは年齢の老若問わず、息切れがする「激坂」と言えます。以前はここで部活のトレーニングをする学生の姿がよく見られました。
 男坂・女坂と同じ斜面(?)にあるのが錦華坂(写真10)です。お茶の水小学校と明治大学の裏通りに位置する坂道です。名前の由来は「坂下に錦華小学校があるからです」と坂標識に記されています。錦華小学校は、現お茶の水小学校のこと。ここは狭く、傾斜の激しい坂道です。錦華公園が隣接していることもあって、坂の下部は濃緑の木々に囲まれて、特に夏場はこの界隈の数少ない避暑スポットでもあります。この錦華坂から分かれて下る急峻な坂道がありますが、ここには坂道としての名称がないようです(写真11)。

(写真8)男坂。坂上にある男坂の碑。男坂は一直線の急な階段です。上りの大変さは言うまでもないことですが、下りも急斜面だけに注意しないと危険なほど。



(写真9)女坂。女坂は2つのコーナー(曲がり角)を持つ坂道。下っていくと、一度右に曲がり、さらに左に曲がります。踊り場が2箇所あるせいか、上りも下りも男坂に比較するとラクな印象が。



(写真10)錦華坂。錦華公園の木々に囲まれたような坂道。滑り止めの舗装路になっていることが、この坂道の傾斜のきつさを物語っています。



(写真11)錦華坂から別れる、名前のない坂道(通り)です。短い道ですが、傾斜は錦華坂よりもきつく、上りももちろん大変ですが、下るのもちょっと怖い坂道です。もちろんこの坂道にも滑り止め舗装が施されています。



 お茶の水周辺には、まだまだ多くの坂道があります。前に触れたように、名前のない坂道もたくさんあることでしょう。お時間があるときにでもぜひ坂道散歩を楽しんでください。


お茶の水地区激坂はどれだ!
激坂グランプリin お茶の水
“チャレンジ・ド・お茶の水ヒルクライム”

 自転車小僧の間では、「坂バカ」という言葉があります。坂道を見ると、やたらと上りたがる習性を持つ「バカ」です。かく言う私(編集者・I)もそのひとりで、「坂バカ」野郎どもの夏の一大イベント、「マウンテンサイクリングin乗鞍(通称“乗鞍”)」には、かれこれ17~18年参戦しています。
坂バカは、とにかく坂道があればなんでもいい、そこに坂道がある限りチャリで上らないと気が済まないのです。
 そこで今回、数あるお茶の水周辺の坂道で、一番の激坂はどれか!を決定すべく、「坂バカ」編集者・Iがマイチャリを投入して徹底調査しました。以下、チャリにまったく関心のない方、坂道の傾斜なんてどうでもいいよという方々は、うっちゃっておいていただいて構いません。
 かてて加えて、以下、チャリ専門用語連発ですが、本筋に影響のないもの以外注釈はなしということでご容赦を。

 まず、激坂度チェックは、自転車に装備されているギアを使い、ギア比をどの程度まで軽く(小さく)しないと上れないかで判断します。
 だれにでも上り坂を走るときに、ギアを軽くすると上りやすくなったという経験があると思います。それですね。
 さらに、厳密に斜度と坂のボリューム感(長さ)を判断するためにダンシング(立ち漕ぎ)はしません。ダンシングしちゃうと、重いギアで、根性で上りきってしまえることがあるので。あくまでもシッティング(座ったまま漕ぐ)で、根性は出さずに、足の負荷をギア比でのみ測るようにしました。
 参考までに今回使用するギアは以下の通りです。

  ・フロント 52-39
  ・リア   27-25-23-21-19-17-16-15-14-13-12

 と書かれてもなんぞや?という人も少なくないと思いますので、以下簡略な説明を。
 フロントとリアの数値の組み合わせによって、「軽い」「重い」の変化が出ます。「軽さ」の目安はリアの数値です(ギア比と言います)。リアの数値が大きければ大きいほど、「軽く」なると考えてください。つまり大きい数値のギアを使っている坂道が勾配の急な坂道ということになります。さらに、フロントを39とリアの大きい数値は、もっと勾配が急な坂道です。
 前置きがやたらと長くなりました(詳細をお知りになりたい方には、最下段に詳細を記していますから、お暇なときにどうぞ)。
 では、発表!


第5位 お茶の水坂 52-19(ギア比2.73)

 計測前は、この坂が一番しんどいのではないかと予想しました。とにかく長い。しかし、上ってみると意外にゆったりとしていて、52-16でも軽く上れてしまいました。ちょっと根性を出せば、52-14あたりでもいけてしまいそう。迫力があり、距離も長い割には、意外にどうってことのない坂道であることが判明しました。残念。この傾斜なら、15〜20kmくらい続いていけても「坂バカ」たちは、案外スイスイと行けてしまうはず。

お茶の水坂。急峻に見えて、上ってみると意外に緩やかで、上っていて気持ちのいい坂道です。「坂バカ」がトレーニングするにはこのくらいの斜度が10kmくらい続くと理想的です。



第4位 皂角坂 52-23(ギア比2.26)

 お茶の水坂と線路をはさんで平行して走る皂角坂が第4位。ここはお茶の水坂に比較して距離が短い分、傾斜がきつくなっているのが特徴。お茶の水坂が坂下からヨーイドンで上るのになんの苦もなかったのに対して、皂角坂は踏み出しからそこそこ厳しい傾斜で、それなりに力を入れないとなかなかリズムに乗れない坂です。しかし、一旦リズムをつかんでしまえば、多少は重いギア比でも上れてしまうかも。

皂角坂。頂上付近になると斜度がきつくなるのが皂角坂の特徴。それでも最初にスピードに乗ってしまえば、前半の勢いのままに一気に上りきれてしまいます。



第2位 淡路坂 52-25(ギア比2.08)
第2位 錦華坂 52-25(ギア比2.08)

 淡路坂と錦華坂が同一で第2位。淡路坂も錦華坂も、傾斜はかなり厳しく、リアの25は通常のロードレーサーではローになります。辛うじてフロントがアウター52なのですが、ほぼ激坂に近い坂道と言ってもいいでしょう。この傾斜で15〜20km続くと、坂バカでも歓迎の域を超えて少々しんどくなるかもしれません。
 ちなみに、錦華坂から分かれる名無しの坂道ですが、こちらは、実は上ってみると錦華坂よりもきついことが判明しました。52-27(ギア比1.92)。これはまさに激坂です。短いのが唯一の救い。

淡路坂。斜度はそこそこきつくても距離が短いので一気に駆け上ることができます。電車と並行して走ると気持ちがいい。



錦華坂。道幅が狭く、対向車(下り一方通行)が多いのが難点。斜度の厳しさを感じながら、「坂バカ」ならではの体験にゆったり浸っていられないのが残念なのです。



錦華坂の分かれ道。錦華坂以上に道幅が狭く、対向車が多く上るに苦労する坂です。都内にこの傾斜の坂道がたくさんあれば、「坂バカ」にとってはうれしいのですが…。



そして、栄えあるグランプリは!
第1位 男坂・女坂 測定不能(ギア比——)

 そりゃそうだよね、だって階段だし。
 自転車で上りたくても上れない!
 要するに、階段にしないことには、人が通る道を作れないくらい急斜面ということですね。ということで、今回の神田・お茶の水坂道勾配グランプリは、「男坂・女坂」に決定しました。

男坂・女坂。絶対にチャリで上れないか、と言われると実はそうでもなく、BMXなどのアクロバティックなチャリなら上っていく強者もいるかもしれません。また、この程度(?)の坂道なら、下ってくる「逆坂バカ」もいます。



 しかし、まだまだこのお茶の水周辺には未開の激坂があることも事実。今回、計測していない坂道でも意外な強者(坂?)が存在するかもしれません。
 それは、またの機会に譲るとしましょう。


どうでもいいスペシャルコラム
ギア比って何?

 52だとか、39だとか、わけのわからない数値に読む気がなくなったという方もいるかと思いますが、一方で訳わかんないけど、その数値はいったい何?と疑問に思っている方もいるかと思いますので、簡単にご説明を。

  フロント 52-39
  リア   27-25-23-21-19-17-16-15-14-13-12

 まず、「フロント52-39」は、前部(自転車でいうと中央部)に、クランクに接続しているギザギザのついた円盤のことです。チェーンリングと言います。ママチャリなどではこの部分はカバーがされているために、見えないことが多いかもしれないです。数字は、ギザギザの数です。計測した自転車には、ギザギザの歯が52個ある円盤と39個ある円盤が2枚付いていることになります。
 リアは、後輪のホイールの付け根部分についているギザギザの円盤(複数)のことです。数字は同じギザギザの数です。リアには11枚の円盤が付いています。車種によって枚数は変動します。ギアのない自転車もありますから。
 ギア比というのは、フロントのギザギザの数をリアのギザギザの数で割ることで算出されます。この数字が大きいほどギアが重く、小さいほどギアが軽くなるわけです。
 皆さんが普段乗っている自転車もフロントとリアのギアの組み合わせによって、軽くなったり、重くなったりします。変速のないチャリは常に同じギアで上り、そして下っているわけですね。
 チャリもちょっと目線を変えると、もっと楽に乗りこなせるようになります。

 坂道散歩も楽しいですが、坂道ポタリングもまたおすすめです!

カテゴリー: 坂道 | コメントは受け付けていません。

水面から眺めるお茶の水・その2

お茶の水から秋葉原を経由して神田川は隅田川へ
流れ込んでいきます。
今月は、神田川をさらに下流へ向かいます。
水面のクルージングを楽しんでください。

万世橋から神田ふれあい橋へ

 ここはその昔、交通博物館があった場所。さらに遡れば万世橋駅舎があった場所でもあります(写真1)。万世橋駅の開業が1912年(明治45年)というから、とんでもなく古い。ウィキペディア「万世橋駅」には、万世橋駅が開業したことによってお茶の水―万世橋間にあった昌平橋駅が廃止されたと記されています。今、聖橋、昌平橋、万世橋の3つの橋を歩いて回ったとしても、さほどの距離ではありません。その昔はこの間に、複数の駅舎があったことになります。どんだけ近い距離で電車は走っては停まっていたのでしょうね。現代人は歩かなくなったとも言われますが、それを考えると明治から大正、昭和にかけて鉄道が本格的に躍動し始めたころの人々は、その短い距離でも鉄道に乗っていたということなのでしょう。換言すれば、鉄道に乗って移動することがステイタスであったのかもしれません。
 しかし、現代人が歩かなくなったのは事実で、いまどき散歩以外でもなければ、この3つの橋を歩いて渡る人は少ないでしょうね。

 交通博物館は、当初限定開館として東京駅構内に設けられ、神田駅に移設して常設館になり、最終的に今の万世橋駅に落ち着きました。万世橋駅がお役御免になったのちも、交通博物館だけが残るにことになったのです。
 1970年代から80年代前半にかけては、交通博物館は大盛況でした。鉄道や乗り物をテーマにした博物館は全国でも希少で、東京名物スポットにもなったほど。D51と新幹線0系が並んだ様は、鉄道ファンや子どもたちにとっては憧れの場所でもあったのです。
 その交通博物館も2006年に閉館。現在、この場所は、お茶の水ソラシティなどと並び、お茶の水地区の新開発地区になっています。






(写真1)今は、この上を中央線が走っています。中央線の車窓からこの区間を通るときに万世橋駅の立て看板が見えます。

 JRの高架と並行して架かっているのが神田ふれあい橋(写真2)。神田川で、水道橋より下流に架かる橋の中で一番小さい(狭い)のが、このふれあい橋です。建物が川の両岸にひしめいているこの辺りでは、どうやってこの橋を渡っていいのか迷う人もいるかもしれません。秋葉原側から渡るときは、小さな路地を入っていかないといけません(写真3、4)。






(写真2)JRの高架に添うようにかかるのが神田ふれあい橋。水道橋から以東に架かる橋の中では一番新しい橋。ネーミングがある意味、安直?で今っぽいのはそのせいかもしれません。利用する人の大半が地元で暮らす&働く人々です。







(写真3)万世橋交差点をJR高架へ向かって歩き、高架をくぐったらすぐに横に入る路地が見えてきます。ここがふれあい橋をわたる道。小さな路地なので見落とさないで。







(写真4)人がちょうどすれ違えるくらいの幅のこじんまりとした橋です。のんびり佇むには少し、余裕がないかも。何より、人が忙しく行き交うのがこの橋の特徴? すぐ脇を通るのはJRの東北新幹線です。

 小さい橋でも人の行き来は多く、人がとだえることがほとんどありません。ネーミングからくるひっそり&ほのぼのというイメージの橋ではまったくなく、どちらかというと実用的な橋。地元に人にとっては重要なパイプライン的な存在です。
 このふれあい橋の脇にあるのが柳森神社(写真5)。鳥居の脇に鎮座しているのが柳森神社の名物のたぬき像。「たぬき」は「他抜き」(他より抜きん出る)という意味が込められていることから、勝負ごとや立身出世、金運向上などのご利益があるとされています。
 決して広くはない敷地ながら、秋葉原の喧騒から川を挟んだだけで、一転して静寂した空間が広がるスポットです。






(写真5)大きく「柳森神社」と記された横看板が目印。境内は、通りから少し降りた位置にあります。「富士講関係石碑群」の立札には、柳森神社と富士浅間神社との縁などが記されています。名物のたぬき像は境内入口の鳥居の脇にいます。




名橋が並ぶ神田川

 神田ふれあい橋をくぐって次に見えてくるのが和泉橋(写真6)。ここは昭和通りの橋でもあり、全長こそ100mにも満たないものの、幅のある巨大な橋です。上には首都高速道路の高価が架かっていることもあってか、地上を歩いているときには、ここが橋であることを認識するのが難しいかもしれません。
 撮影時、この和泉橋へ向かう途中で、秋葉原らしい光景に出会えました。
 川沿いに建つビルのガラス張りのフロアでコスチュームに身を包んだ人達が多数、なにやらがやがやとやっている。よく見ると、コスプレの撮影会(写真7)。カメラを向けている人も、撮られる人もがコスチュームに身を包んでいます。ガラスの中の喧騒が容易に想像できる、楽しそうな光景です。






(写真6)巨大な和泉橋。写真手前がJR秋葉原駅になり、奥に見える地下鉄日比谷線の秋葉原出入り口。2005年には橋のすぐ脇に船着き場が設けられました。







(写真7)撮影の合間に見かけた、秋葉原らしい(?)光景。ここは東京都中小企業振興公社の建物。会場は同ビルのフリースペース(会議室)を借り切ってのイベントのようでした。



 和泉橋のたもとには、この地域(岩本町3丁目)の古地図が掲げられています。それによると、1850年代の神田川沿いは柳原土手が南側に広がり、反対側には河岸があったことがうかがえます。
 この時代は、神田川は人々の生活に密着して、土手や河岸沿いの道を歩けば、いつでも神田川が見渡せたのです。
 今は、川の際まで建物が押し寄せて、神田川を見るのには、ビルから見下ろすか、橋から眺めるか、あるいはボートで神田川に揺られながら見るしかありません(写真8)。
 これも時代の流れと言えば流れでもあります。その時代その時代のそれぞれの顔を、人も風景も持っているということでしょう。
 この先、神田川は、美倉橋、左衛門橋、浅草橋をくぐり、最後の橋、柳橋(写真9)へと至ります。
 そして、ここが神田川の終点。こじんまりとして、流れているのか、いないのかさえ判然としない穏やかな神田川からすれば、その先に広がる隅田川は、まるで大海のようにも見えます。実際に柳橋を抜けて、両脇に広がる隅田川を目にすると、隅田川って意外と大きいと実感できます。






(写真8)川の際までびっしりと立ち並ぶビル群。テナントビルをはじめ、学校、企業ビル、マンションなどがひしめいています。川沿いの散歩はできないまでも、要所(橋)から神田川を眺めることができます。







(写真9)神田川に架かる最後の橋・柳橋。1698年に架けられ、今の形になったのは1928年。東京都中央区民有形文化財に指定されています。

 今回の「水面から眺めるお茶の水」で改めて認識させられたのは、東京には水路が多いこと。水路の街と言ってもいいくらい。東京のいたるところに、「橋」がつく地名が多いのはその名残りでもあります。水路を辿ることは容易ではありませんが、川を辿って散策してみてはどうでしょう。水道橋からお茶の水、秋葉原、浅草橋まで、橋を渡っては次の橋へ、と繰り返していくだけでも、普段見ることができない風景に出会えるはずです。
 ぜひ、お試しを。

カテゴリー: 水路 | コメントは受け付けていません。

水面から眺めるお茶の水・その1

普段見慣れないお茶の水の様子をご覧に入れます。
見下ろす景色、見上げる景色。
こんなにも違う世界がある、と疑似体験してください。



水道橋からお茶の水へ

 水上散歩の最初は、後楽橋(写真1)から。
 水道橋西口から東京ドームへ向かうと2つの橋があります。ひとつは、神田川と外堀通りを合わせて渡る橋。今ひとつは、神田川を渡る僅か20mほどの橋。この短いほうが後楽橋です。ちなみに水道橋から外堀通りをまたいで渡ってしまうのは後楽園ブリッジ。水道橋駅を降りて、東京ドームシティやWINS後楽園などへ向かう人の多くが渡るのがこの後楽園ブリッジのほうです。




(写真1)出発地点は、日本橋川と神田川が合流する後楽橋付近から。



 後楽橋の命名の由来は、やはり小石川後楽園から来ているようです。しかし、今はこの橋を渡って控えているのは東京ドームシティ。後楽園の名前を残しているのは、後楽園ホールとWINS後楽園。小石川後楽園はもっと先になります。
 建物が神田川の際ぎりぎりにそそり立つように並んでいます。こうしてビルの裏側を覗けるのも、水上散歩ならではの光景です(写真2)。




(写真2)左右には川に迫らんばかりに建物がひしめいています。



 JR水道橋駅の東口から東京ドームへ向かうときに渡るのが水道橋(写真3)。JRや都営線にその名を残す水道橋は、この橋に由来していて、水道橋という地名は存在しません。ちなみに「文京区水道」という地名は、神田川をさらに遡って、江戸川橋のためにあります。この水道橋を抜けると(写真4)、一瞬世界が変わったような光景が拓けます。



(写真3)水道橋の名前を唯一残す橋




(写真4)低く幅広の水道橋をくぐると、見えてくるのが濃緑の世界。



 左右に濃い緑が茂り、そこだけを切り取るとまるでジャングルのよう(写真5)。



(写真5)都会の風景とはちょっと逸脱した雰囲気を醸しています。


 それをもっとも象徴するように不気味に視界に飛び込んでくるのが、謎のトンネル(写真6)。



(写真6)水道橋1号水路。周辺には、「小石川橋か上流から出る水道橋2号水路。水道橋1号水路に接続、水道橋下流から本郷台地の下を貫き、昌平橋下流に出口のある、お茶の水水路」(『東京水路をゆく』より)の3つの水路があります。



 『東京水路をゆく』の著者石坂善久氏によればこれは分水路であるといいます。
「分水路とは、増水時に水があふれないよう、川に並行してトンネルを設けたいわば地下河川で、かつては洪水の常習河川であった神田川も、これが設けられたことで実質的に川幅が広がり、洪水の恐れは大変低く」(同書より)なったといいます。
 水道橋周辺には隣接して3つの分水路があります。この分水路に入ることももちろん可能。
こうして水面から東京の一角を眺めると、東京もまた「水の都」と言えそう。
改めるまでもなく、千代田区、中央区、文京区など、ほかも含め、23区内には、「水」や「橋」のつく地名、名称が数多くあります。


都内でも有数のビューポイント

 ゆっくり下っていくと右手に見えるのが、JR御茶ノ水駅。
御茶ノ水駅のホームからは、神田川がくっきりと見渡せます。とくに聖橋を見上げるところは、都内でも屈指のビューポイントです。
 水面から見上げる聖橋は、荘厳かつ威容を誇っています(写真7)。ウエブサイト『東京探訪』によると、聖橋は神田川に架かる橋では最長(90m超)とのこと。



(写真7)画面右側にはニコライ聖堂、左側には湯島聖堂があります。2つの「聖」を結ぶことから「聖橋」と公募によって命名されました。



 聖橋の先は、鉄道マニア垂涎のスポット。地下鉄丸ノ内線とJR総武線が微妙にクロス(写真8)。それが神田川の上で繰り広げられるところが、名スポットたる所以です。

(写真8)タイミングがよければ、丸ノ内線と総武線が重なるように走る姿が見られます。また聖橋が見下ろせば、中央線が掠めるように走り、3線の車両が見られることも。



 進行方向に左側の建物の一角に、ナビブラ神保町で紹介している「ユルリク」さんがあります。ユルリクのオオネダキヌエさんは、窓から望めるこの景観に惹かれて、この場所に工房兼ショップをオープンすることに決めたと以前の取材でおっしゃっていました。

 総武線高架下に広がる神田川リバーサイド、「お茶の水Brick st.」に軒を連ねるのがホテルジュラク系列(写真9)のレストラン4軒。ちなみにここは住所で言うと、「神田淡路町2 JR高架下○」となっていて、○の中にそれぞれ1~4の数字が入ります。

(写真9)高架下の空間をレストランに改装しているホテルジュラク系列のレストラン4軒。



 このJR高架の向こう側――ホテルジュラクの奥に、お茶の水の都市開発として建設されているのが2012年4月オープンの「お茶の水ソラシティ」です。

 御茶ノ水駅周辺の風景がまた新しく生まれ変わるかもしれません。

 古いものと新しいものは共存しながら時を刻んでいくもの。風景はいやが上にも変化するものもあれば、変化してほしいけれど変化しないもの――普遍的なものもあります。どちらが良い悪いではなく、それを常に見届けていくことが、そこで生活する人の務めなのかもしれません。

 新しく生まれ変わるお茶の水はどんな風景になるのでしょう。今から楽しみです。

(つづく)

カテゴリー: 水路 | コメントは受け付けていません。